流れる雲に君を問う

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 大会での成績は、散々だった。  無事に元の世界へ戻った日の夜。精神的にも肉体的にも限界だったのだろう、私は高熱を出して寝込んでしまった。親にも、友達にも心配をかけてしまったし、大会までろくに練習もできず、ぶっつけ本番で挑んだレースの結果は、火を見るより明らかというものだ。  それでも、心に波風は立たなかった。それまでのせき立てられるような焦燥感が嘘のようになくなり、素直に先生に相談することができた。 「ごめんね。あなたがそんなに成績のことで悩んでるなんて気づかなかったわ」  先生は、私の体力に合ったメニューを考えてみると約束してくれた。  まだタイムはよくないけれど、体の調子は上がってきている。これから徐々に、記録が伸びていくかもしれない。  今のところ、個人練習はとめられているので、部活でしか陸上の練習はできない。  夏休みも、もう少しで終わる。  あの日から、一度も先輩には会っていない。   「ほんっとごめん! すっかり返すの忘れててさあ! 督促状まで届いちゃった! 入り口! 入り口まででいいから!」  二学期開始早々、李果に泣きつかれて、放課後の図書館へと向かう。今の図書委員長が怖い人らしく、李果の足はやけに重い。カウンターへ彼女の背中を押し出すと、話が終わるまで待っていようと、棚の方へ移動した。  今日の図書室も人気が少ない。私はぶらぶらと窓へ寄り、ガラス越しの澄んだ空を見上げた。  まだまだ勢いがある白い雲と濃紺の空のコントラストが目に眩しい。  しばらくは、問答雲を見るたびに胸が締め付けられた。先輩の顔が頭から離れなくて、発作的に空港へ向かおうとしたことが何度もあった。  直視しても平静を保っていられるようになったのは最近だ。  両手の人差し指をのばして角度を測る。雲同士のズレは約二十度。あの日の角度によく似ている。  けれど、多分、空港に行っても彼には会えないだろう。あの世界の先輩は、二度とあそこには現れない気がした。  それは、私に会わないためかもしれない。あるいは、違う理由かもしれない。  ――そう。きっと先輩は、あの空の向こうに行ったのだろう。  本を片手に空を見上げていた先輩。私はずっと、飛行機を眺めているのだと思っていた。でも、それは違ったのかもしれない。  見つめていたのは、空の彼方。  あの世界の、笹井雪花がいる場所――。  その想像は、痛みをともなうものだったけれど、きっと、先輩を忘れるよすがにもなる。  そうしたら、そのときこそ、また先輩に会えるのではないだろうか。  いつのことになるかわからない。  けれど、いつか。 「私も、あの空の向こうに、飛んでいきたい……」 「――いいね、それ」  呼吸が止まるかと思った。  恐れなのか期待なのか、自分でもよくわからない感情で、全身がいっぱいになる。  独り言のつもりだった。側にある閲覧席には誰もいなかったから。  ゆっくりと後ろを向く。棚に隠れて受付からは死角になる奥のベンチ。そこに、本を顔にかぶせて寝そべっている男子生徒がいた。  本のタイトルは、『航空整備の基礎』。  彼は顔から本を外し、半身を起こすと、眼鏡の奥の目をいたずらっぽく瞬かせてこちらを見つめた。  ――俺、ほとんど迷ったことないからな。眼鏡にするかコンタクトにするかと、あとは――……。  優しくて強い瞳。もう一度聞きたくて、でも二度と聞けないと思っていた声。  こみあげる涙をこらえて、私はそっと、窓の外に目を向けた。    目に痛いほど青い空に、白い入道雲。  けれど、問答雲はもう消えていた。
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