流れる雲に君を問う

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 暑さが少し和らいだ時分、いつものように空港へ向かう。  昨日より少し遅めに家を出たのだが、案の定、くだんの人物の姿もあった。木陰に陣取り、木の葉の隙間から空を仰ぎ見ているようだ。  私は先輩から死角になる建物の影に自転車を停めると、息をひそめてストレッチを行った。  今日は昨日とはコースを変えて、公園の外周を走ることにする。タイムは計らず、体幹を鍛えることを目標にする。疲れやすくて、走っているうちに上体が立ってしまう癖を直すのだ。  これなら先輩に気づかれずに練習できるはずだった。実際、走り始めて十分経っても横やりが入らないので、いつの間にか彼のことは頭から抜け落ち、ただ無心になって前に進み続けた。  走行距離も決めず、時間が許すだけ、走り込む。  もっと。もっと。もっと――! 「――雪花?」 「――っ!?」  名前を呼ばれて、我に返った。  どのくらい時間が経ったのだろう。  いきなり視界がクリアになった。同時に、セミの奏でる合唱が両耳に押し寄せる。太陽がじりじりと大地を焼き付けている。草いきれが湿度とほこり臭さを増して、そよとした風に乗って首元にからむ。  重苦しい空気にむせてから気づいた。水分を出し尽くして、口の中がカラカラだ。  かすれた呼吸を繰り返し、のろのろと首を巡らすと、唖然とした表情の先輩が立っていた。なぜわざわざ公園の中央から端まで寄ってきたのだろう。 「え、本当に……? でも、その格好は……」 「……え?」  呆気にとられたように私を見つめる彼の目つきにデジャヴを感じる。気のせいか、昨日も似たような反応をされたような。  彼はすぐに笑顔をつくると、爽やかに言った。 「あのさ、不躾で悪いんだけど、名前、教えてくれる?」 「…………」  気のせいじゃなかった。つい昨日のことなのにもう忘れたというのだろうか。けれど、没頭している間は感じなかった疲労感に襲われて、抵抗する気も起きない。 「笹井(ささい)雪花って……、呼んでたじゃないですか」  予想外にかすれた声に驚く。何か考え込んでいた先輩も私の様子に気づいたようだった。 「うわ、君、どれくらい走ってたんだ? とにかくちょっと休憩して。ほらほら!」  私を木陰まで連れて行くとそこに横たわるよう促し、私の自転車から鞄を持ってきて水筒を出してくれた。素直に水分を補給して横になると少し楽になった。熱中症になりかけていたのかもしれない。しばらく目をつぶって体力を回復する。  その間スマホをいじっていた先輩は、一段落付いたのか、隣に座って本を読み始めた。そんな彼を、薄目を開けて盗み見する。  長めに伸ばした前髪が、文字を追う真剣な表情に影を落とす。風になびく髪がさらりと肌をなでる。思わず見とれていると、先輩が顔を上げて「あ」とつぶやいたので即座に視線を逸らした。
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