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周囲が格段に暗くなり、雨が本格的に降り出した。
けれど、その雨音に負けないくらい大きく、先輩の声が頭の中でこだまする。
(そこは、君の家じゃない)
聞き間違いでなければ、先輩はそう言った。
「――私の家じゃない? ……何、馬鹿なことを」
笑い飛ばそうとして、先輩の顔に冗談の気配を探す。しかし、見つけられたのは、痛々しそうにゆがめられた表情だけだ。
「数ヶ月前まではそうだった。……でもきっと、その前からも、君の家じゃないんだ」
「……どういう、意味ですか……?」
せり上がってくる気持ち悪さをこらえて頭をフル回転させる。先輩は、何を言っている? なぜうちを知っている? 追いかけてきたのか。なぜ。
思い返してみると、先輩の態度はいかにも不自然だった。私のことを知っているようなそぶりをしながら、何度も名前を忘れた。あれは何かをごまかすために、忘れたふりをしていただけだったのか。
「……先輩は、何か知ってるんですか? 教えて下さい! 何が起こったんですか。私の知らないところで、何が……!」
いても立ってもいられなくて、先輩につかみかかった。けれどその瞳に映ったものに、胸が詰まって動きを止めた。
哀れみと、同情と。……そして、羨望?
「……それとも、私がおかしいんですか? いろんなことを忘れてるのは、もしかして、私……!?」
先輩が口を開こうとした。けれど、その先を聞くことはできなかった。突然呼吸が苦しくなり、激しく咳き込んでしまったからだ。
「! 雪花……!」
苦しい咳を繰り返す私の背中を、先輩が優しくさすってくれる。
昔より丈夫になったとはいえ、今回は無理をしすぎたのだろう。冷たい雨にあたって体が冷えたのも良くなかった。
雨の中でも先輩の手はあたたかく、思わず全てをゆだねてしまいたくなった。
(どうして、なんだろう。どうして先輩は、ここまで優しくしてくれるの?)
泣きたくなるような安堵感に、なぜか小さな痛みが伴った。
それは何かの警告のようだった。
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