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深夜の学校に忍び込むのは生徒会の放課後のお茶会に呼ばれることよりもずっと、私たちにとっては胸がぞくぞくとする行為だった。
「ねえミキティ。本当に見つからないよね? 監視カメラ、クラックしておいたのよね?」
私は眼鏡を僅かに持ち上げてニヤリをしただけの彼女に「本当?」と念を押す。
「アユ殿は心配性ですなあ。この美樹本好美、いつもぬかりはありませぬ」
ほっほ、と笑う癖だけは受け付けないが、頼りになる戦友だ。
非常灯だけの廊下を足音に気をつけて歩いていくと、突き当りに一枚のドアがある。今時珍しい木製のドアノブがあるタイプだ。合鍵は前回来た時に型を取り、作っておいた。今日こそはこの第二図書室に忍び込めるはずだ。
私はミキティと、その後ろでしんがりを務める畑毛宏海に確認するように目を合わせると、鍵を差し入れ、ゆっくりと捻る。カチリ、という小気味良い音に安堵し、そのドアノブを握る。ゆっくりと回し、手前に引くと、部屋の内側に詰まっていたやや鼻につく臭いが漏れ出てきたが有毒ガスだったりはしない。仮にそんなトラップが仕掛けられているなら、私たちが考えている以上にヤバいブツがここには収められていることになる。
姿勢を低くし、私はペンライトを点灯させて口に咥えた。
中は私たちがデジタルデータでしか知り得ない、旧式の図書室だ。入口脇にカウンターがあり、その上には貸出カードと呼ばれるものを収める箱があり、ニューアーク方式と呼ばれる人間のサインによる貸出方法を採用していたと云われている。今や全ての読み物はデータ化されたものしか存在せず、書籍と呼ばれる紙製の本はアンティークとして一部の好事家が保有する以外には、それこそ博物館で見ることができる程度しか残存していない。そう教わった。
けれどここにはそれがある。
それならば、私たち古典文学研究会としては是非一度現物を手に取り、中身を確認してみるのが使命ではないだろうか。
「西側クリア」
「東側の書架もオッケーです」
ミキティと宏海のクリアリング報告に私も「こちらアルファ、正面奥も異常なしです」と答え、再び部屋の中央に三人集まった。
「で、どこから手を付ける?」
ペンライトの光は悠然とそびえる書架を照らす。本来図書室というならNDCなどの分類法に基づいて並べられているはずだ。しかし先程少し確認したところでは哲学や歴史、自然科学といったタグは見当たらず、作家名、あるいは別のジャンルなのか何なのか、暗号が混ざったタグが本と本の間に差し込まれ、それに従って並べられているようだった。
中でも気になったのは謎の『NTR』という暗号だ。
「ねえ、これって何だと思う?」
「Nといえば大抵はナショナルやノース、ニューやノン、あるいはニュークリアといった頭文字を取っていることが多いですな。ひょっとすると国際的なテーマのものがこの棚に?」
「国家機密かも知れないものが、わたしたち程度で簡単に推測できるような暗号を使うでしょうか」
三人の中では知の宝庫と云っていいミキティの言葉に否を突きつけたのは、いつもは寡黙な宏海だ。
「じゃあ畑毛殿は何だと?」
「それを考える為にはまずこれらの中身を確かめた方が」
「ああ、そうよね」
私もミキティもその提案に賛成し、それぞれ適当に棚から引き抜くと、蹲ってペンライトの小さな光を当てながらその薄い本を開いた。初めて触れる紙の本は透明な樹脂製のカバーが掛けられていた。ただ中は正真正銘“紙”で、しかも私が知っているメモ用紙やノートに使われているそれとは異なり、つるりとして指先が吸い付くような感覚がある。それに何だろう。不思議な香りだった。かつては紙にインクというものを転写して文字や絵を描いていたというから、これはそのインクの匂いだろうか。
私は覚悟を決め、その中表紙を捲る。タイトルは『NTRといふもの』だった。これを読めば暗号の意味が理解できるかも知れない。そういう予感は、しかしページを捲ってすぐに打ち砕かれた。そこに書かれていたのは文字ではない。絵だ。線が細く、今にも消えそうなラインで人間の姿が描かれている。しかも制服だろうか。だとすればこれは学生なのだろうか。
登場人物は髪の長いA子と、短いB美、それに眼鏡を掛けたC奈の三名で、それ以外には出てこないようだ。冒頭でA子は悩んでいた。どうやらB美と彼女は恋仲らしいのだが、最近ギクシャクとしているらしい。それをC奈に告白すると、B美との仲を取り持ってくれることになったのだが、三人で話し合いをした結果、B美はA子の少し我が儘なところが鼻につくと言い始め、仲直りするどころではなく寧ろ二人は別れることになった。その後、心が折れたA子にC奈は近づく。二人で頻繁に一緒に出かけるうちにA子は気づくのだ。自分に必要だったのはC奈だったと。
けれどその後でC奈の本心が明かされる。実は最初からA子のことを狙っていて、B美と仲違いするようにそれぞれと仲良くしつつも、片方の気に入らないところを少しずつ、それこそ少量の毒を盛るようにして二人の心に染み込ませていった。結果、互いへの不信感が出るようになり、二人は別れた。その後は簡単だった。自分へ信頼を寄せ始めていたA子に優しくし、彼女の心を自分だけに向ける。そうやって最終的にA子を手に入れることこそが、C奈の目的だったのだと。
「……これ、何なの?」
全然違う本を手に取ったはずなのに、私も、ミキティも、それに宏海も、同じように困惑していた。
私たちは結局それらを元の場所に仕舞うと、痕跡を残さないように注意しながら第二図書室を後にした。
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