第7話 夢

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第7話 夢

 目に入るのは空と木々の枝のみ。ユキを乗せた(そり)が雪上を飛ぶように滑る。身体が橇に縛り付けられていなければあっさりと振り落とされてしまう激しい動きだ。  ユキは声も出せなかった。ひたすら怖い。ザザッーという滑走音が、子どもには未知のスピードが、激しく揺れる橇の振動が、そして今にも覆い被さって来そうな巨大な雪庇(せっぴ)が。ユキはようやく声を上げた。 「とめてー! そり、とまってぇー! パパぁー!」  その瞬間、ビッグウェーブのような雪庇が橇を襲ってきた。橇より速いスピードで庇が雪崩となって橇に、ユキに蔽い被さって来る。ユキは目を(つぶ)る。冷たい感触が身体を包み込み、そのまますーっと真っ暗な穴の中に落下する。 「だめぇー! 来ないでー! うわぁー!!」 +++  ユキはベッドで跳ね起きた。春なのに汗びっしょりだ。何回目だろうこの夢。最近ようやく見る事が無くなって来たのに、きっと今日の(るな)たちとの会話のせいだ。はぁ…、でも夢で良かった。私は生きている。ユキはハンドタオルを取り出し、パジャマの中の身体を拭う。あーやっぱ着替えないと風邪ひいちゃう。ママに何て言えばいいんだろう。  ユキはスタンドだけ()けた自室で長袖のTシャツを取り出し頭から被る。パジャマのパンツはスウェットパンツに履き替えた。スマホを取り上げると午前3時半。山岳高原地帯である白兎町はまだまだ寒い時刻だ。ユキはライトダウンを羽織ってそうっとベランダに出た。ウッドデッキにウッドの手摺。月も羨ましがったベランダ。  目の前には無数の星が踊っている。澄んだ空、きっと上空の風は強いのだろう。星座、たくさん教えて貰ったけど忘れちゃった。ごめん、パパ。そう、口に出しては言えないこの言葉。だって、小さい時に言われたんだもん。 『ユキのパパは俺だけだよ』  どこだか判らない、あれはきっとスーパーか何か。パパと思って走って行ったら違う人だった。慌てて取って返してパパに飛びついたら抱き上げられた。あの手の感触は今でも覚えている。そしてパパは笑った。ユキのパパは俺だけだよって。私はちょっと恥ずかしかった。それで誓ったんだ。パパと呼ぶのは一人だけだって。  なんでこんな事を思い出したんだろう。橇の夢のせいかな。こういうの、トラウマって言うって聞いた。なんで虎と馬って一瞬思ったけど、そんな筈ないことも一瞬で判った。意味は『心の傷』だそうだ。傷なのかも知れないが、それだけじゃない。時々温かい気持ちにもなれるもの。あの橇があったから、私は今、生きている。  夜風がベランダを吹き抜ける。ちょっと寒くなって来た。もう一度寝よう。夜明けまでまだ時間はあるし、今日も学校だし。ユキはまたそうっと部屋に戻る。脱いだパジャマを椅子の背もたれに掛けて、タオルを手に取るとユキはベッドに潜り込んだ。  独りぼっち、なんかじゃないよ。今はちゃんと両親がいる。まさかこの地に戻って来るとは思わなかったけど、心配しないで、パパ。いつかあの場所をユキが探し当てるから。  二度寝のユキは美しい雪野原の夢を見た。あ、もしかしてあそこかな。シュプールを描いてその場所を目指したユキは、白い光に包まれる。うわ、真っ白だ。私、花の中に入ったのかな…。あ、何だかメロディが聞こえる。聞き覚えのあるあのメロディ。それにしても眩しいこの光。何が見えるか目を開けなくちゃ…  あれ。  カーテン越しに朝の光がベッドに振り注ぎ、スマホの目覚ましアプリがユキを起こしていた。
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