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第8話 山に入る
「ハルキ。ちょっと教えて」
夕食後、ユキは父に声を掛けた。
「何だい?」
「この辺の山のこと、知ってる?」
「山?」
「うん。白兎町の山ってどこでも誰でも入れるの?」
晴樹は首を傾げた。
「いやー、個人の土地なら勝手に入っちゃ駄目だろ。スキー場やトレッキングコースがあれば入れるけどな」
「ふうん」
「ユキは山に行きたいの?」
「うん」
アウトドアかぶれの晴樹は万歳をした。
「よぉーし。丁度連休だし、どこかでキャンプしよっか」
「泊まらなくてもいい」
「そうか? じゃあ高原ハイキングだな。どこか行ってみたいところあるのか?」
「うん。ゴンドラに乗って行くところ。冬はスキー場」
「ああ、判った! 多分、唐沼高原だな。あそこならハイキングコースがある筈だよ」
「うん」
「よし、パパに任せとけ。コース考えるよ」
「有難う」
紗香は二人の話を聞くとはなしに聞いていた。ユキは山を気にしている。マンションにいた頃も、ベランダからこっちの方の山をずっと見ていた。南東向きのベランダからは見にくい方向なのに、そっちばかりを見ていた。もしや…、いや、考え過ぎかな。一瞬洗い物の手を止めた紗香だったが、小さく息を吐くと茶碗を洗い続けた。
+++
やって来たゴールデンウィーク、山形家の3人は車で15分ほどの唐沼高原トレッキングコース入口に来ていた。冬場はスキー場への足として活躍するゴンドラは、それ以外のシーズン、トレッキングコース入口への足となっている。ユキはゴンドラに見覚えがあった。
「さーって、初めてだし初心者コースから行くか」
すっかりハイカー装備の晴樹は張り切っている。湿地帯には木道が掛けられ、基本的にはその通行路のみ歩いて良い事になっている。ユキは晴樹と紗香に挟まれて、キョロキョロ周囲を見渡しながら歩いていた。冬になると、ここも一面雪野原になるのだろうか。由芽が言っていたように360度真っ白に。その視界は林の中を歩くときは妨げられるが、林を抜けると今も雪を抱いた山々が目の前に拡がる絶景。コースマップを見ながらユキは晴樹の背中を追った。
雪渓を望む展望台でお弁当を拡げたあと、家族は復路に入る。往路とは異なる経路でやや下り道。まだ中学生のユキにはさして負担ではないが、晴樹は時々痛む足をストレッチしている。コースは終盤、間もなくゴンドラ乗場が見えて来るところに、ベンチのある休憩ポイントがあった。背後は林になっていて、その先は緩やかな下り斜面だ。
「ユキは元気だなあ。やっぱ若さが違うわ。けど紗香も結構強いなあ」
太ももの筋肉を伸ばしながら晴樹が言った。
「だってスキーでも最初に休憩しようって言うのは晴樹の方でしょ」
紗香は笑う。その傍らで、ユキは林の向こうを見透かしていた。
「ママ。ちょっとだけ散歩してきていい?」
「散歩?」
「うん。この向こう。大丈夫、コンパスもあるし、ここ、電波入るから」
「まあいいか。気をつけてね。何がいるか判らないし、足元もちゃんと探ってね」
「うん。20分ほどで戻るから」
本当はついてゆきたい晴樹だったが足が言うこと聞かず、恨めし気にユキの背中を見送る。ユキはリュックの鈴を鳴らしながら林の中へ入って行き、すぐに見えなくなった。
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