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「あぁ……何でこんなことになっちゃったんだよ。こんなことってあるかよ……」
僕は今、力の限り足を回転させ自転車をこいでいる。恋人のさやかが病院に運び込まれたとの一報を聞いて自転車に飛び乗り病院までの道のりを滑走する。ついさっき学校から一緒に帰宅して別れたばかりでその後に起こった事故だったらしく、頭の中は『何で?』、『どうして?』の言葉がグルグルと回り続けていた。病院につくと入り口付近に僕の母が立っていた。
「母さんっ! さやかは!?」
「あっ、聡っ! それがね……今はまだ手術中みたいなんだけど……かなり厳しいみたいなの……」
病院の待合室にはさやかの両親がおり、おばさんは憔悴しきっており、おじさんはベンチにうなだれていた。話を聞くまでもなく状況が悪いことは察られた。
「おばさん……」
「……あぁ、聡くん」
「さやかは?」
「う、うっう……さやかは、さやかは……」
「聡くん、手術は一応終わったんだ。でも……さやかの意識は戻っていない……状況は予断を許さないらしい……」
おじさんはそう言いながらおばさんの背中を撫でていた。僕はいたたまれなくなり、2人に軽く会釈をしてその場を離れた。次の日病院へ行ってさやかの容態を確認するが変化はなく、変わらずベッドに横たわっている彼女がいるだけだった。そしてその次の日から僕は病院へ足を運ぶことをしなくなった。
ただベッドに横たわっているだけのさやかを見るのが辛かった。屈託のない表情で楽しそうにしゃべるさやかの顔ばかり頭の中にあり、ベッドにいる彼女とはまるで違う。その差を認識することが寂しくもあり、恐怖でもあり僕は彼女に会うことに躊躇いが生まれたのだ。
そんな僕の元に真白さんが現れた。真白さんは僕を気遣って励ましてくれている。僕はそんな真白さんに苛立ちを覚えていた。
「真白さんっ! 僕の悲しみの感情を盗み取って下さい! 僕はこんな悲しみ耐えられません……」
「聡くん……気持ちは分かるけどまだその段階じゃないと思うの。さやかちゃんは今も一人頑張っている最中なんだよ。君が寄り添って一緒に励ましてあげるべきだと思う」
「そんな……、さやかも頑張っていると思うけど僕はこのままじゃおかしくなっちゃいますよ……悲しみの感情に潰されちゃいますよ!」
「今君の悲しみの感情をなくしても意味がないっ! 今一番必要なのは君が気持ちを強く持ってさやかちゃんの力になることよっ! 私は君の感情を盗み取ることはしないっ!」
さやかの状態に対する悲しみと感情を盗み取ってくれない真白さんへの苛立ちとで頭の中がぐちゃぐちゃになっている。それは真白さんへの敵意となり僕の体を突き動かす。
「なんで真白さんはそうなんだっ! 僕は今までいろんな人を助けてきた。その僕が何で助けてもらえないんだっ! そんなおかしな話あるかよっ!」
「感情から簡単に逃げることはしないでっ!」
「うるさい! 早く僕の悲しみを盗み出すんだっ!」
そう言って僕は真白さんの背中に手を当てる。――そう、僕は真白さんが今僕に対して持っている戒めの感情を盗み取ろうとしたのだ。背中に手を当てた時に少し体を突っ張らせていたが、じきにぼうっと遠くを見るような仕草をしだした。その後はっとしたように我に返る。そこへ僕は悲しみの感情を盗み取ってくれるように懇願した。すると、真白さんは抵抗なく僕の背中に手を当てた。
次の瞬間、僕の意識は一時的に遮断された。そしてふっと肩から力が抜けていくように体が楽になる。さやかが事故にあった記憶はあるもののそれに対して特に悲しいと思うことが無くなっていたのだった。
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