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 米良幸次郎(めらこうじろう)の手元にあるのは、配達伝票以外は何も記載されていない無地の白い箱。中身は米良が注文した物とは明らかに形状を異にしている。米良は途方に暮れていた。  たとえ在宅でも宅配ボックスでの受取を指定している米良がポストに投函されていた配達伝票に気付いたのは、現場の深夜シフトを終えて自宅マンションに戻って来た時の事だった。  いつもなら携帯電話へ前もって配達明細メールが届く筈なのに、今日に限って連絡はなかった。何だっけ、何を頼んだっけ。米良は考える。他人と対面する事の苦手な米良は、大抵の日用品を通販で購入している。  ああそうだそうだ。米良は普段アクセスしないECサイトで珍しい買い物をしたのを思い出した。  米良は、食品包装資材の工場部門に勤めてもう長い。本社の営業マンにはどうしても向かず、自ら工場部門への異動を申し出た。基本的には作業服に着替えて黙々と作業をする仕事である。納期が厳しく徹夜で作業するなんて事もざらだったが、それでも対面よりストレスは遥かに少ない。もともと上背もあるし力仕事も苦ではなかった。  職場の社員から話し掛けられても口下手がゆえに言葉少なに笑うばかりだが、「米良さんは寡黙でかっこいい」と、逆に良い印象に受け取られているようで、難を逃れている。  米良はこの職場を気に入っていた。  だが最近になって米良の昇格を申し渡された。生産管理課の課長である。米良にとってはありがた迷惑な話だ。慢性的に人手が足りない為、従来通り工場シフトもあるのだが、またシャツと背広を着て交渉ごとに応じなければいけない場面も生じるからだ。  まあ昔に比べて処世術も幾らか身に付いた。数日に一度の頻度ならワイシャツに腕を通してもいいかと久しぶりに背広姿の自分を鏡に映してみたが、米良はある事が気になってしまう。  腕を動かすとシャツがずり上がってくるのが、どうにも気持ち悪いのだ。  今の体型に合わせて新調したのだが、作業服と違って動くたびにシャツがベルトの上で(たわ)むのが許せない。上背に加えて筋肉にもボリュームのある米良だから、シャツがどうしても筋肉に合わせて上下してしまうのだ。  自分はやはり背広組ではないのだと思い知らされるも、流石にそんな些細な事でやっぱり降りますなんて、いい歳をして言える筈もない。  何か良い方法はないかとネットサーフィンをしていたら見つけた。シャツガーターなるものを。  モデルの着用例とレビューを確認したところ、簡単にシャツのダブつきを防げる優れものだという事が分かった。これは買いだ、初めて訪れるサイトの購入方法に随分と戸惑ったものの、米良は無事に便利アイテムを手に入れる事が出来た──と思ったのだが。  今、米良が見つめているものは、二本の太腿ベルトに繋がる太めのウエストベルト、そして更にそこから延びるサスペンダーのようなものの集合体である。サイトの画面で見ていたものより、断然ベルトの数が多い。シャツガーターとは、両太腿に巻く二本のベルトに、シャツを留める為のクリップ付きベルトが前後で三本固定されているだけのシンプルな形状ではなかったか。  米良は箱の中に入っていた領収書の品名を見た。「ボディハーネス メンズ用」。何やらエロティックな響きである。  ボディハーネス。よからぬ想像をさせるネーミングに、米良は慌ててECサイトの画面を立ち上げた。シャツガーターの下の欄。注文番号は数字がひとつ違うだけ。そう、米良は間違えて注文してしまったのだ。  だがよく見ると、モデルの着用例ではシャツの上にこのボディハーネスとやらを装着し、背広を羽織っている。用途としてはシャツのダブつきを抑える役割を確かに果たしているのだろう。それにシャツガーターより更に安心感も得られそうだ。背広を着てしまえばハーネスが見える事もない。  米良は、一週間以内なら返品可能というサイトの文言を見て決めた。一度着用してみよう。明日はちょうど取引先との打ち合わせで背広を着用する。試着して軽く動いてみて、使い勝手が悪そうならすぐに脱げばいい。  少し早く起きて、試してみるか。米良は一旦箱へ戻しかけたボディハーネスを、背広と一緒にハンガーへ掛けた。  ──股間周りに少し圧力が掛かるな。  シャツガーターを更に固定するように腰にベルトをし、そのベルトが浮かないようにサスペンダー状のものを装着する。なんだかひと昔前の野球アニメの矯正ギプスのようにも見えて、米良は苦笑いした。  だが、ほど良い締め付けはそう悪いものではない。シャツが胸の筋肉で上下する事もなく、全てのベルトにより無理なく安定する。股下を引き上げるベルトの所為で股間が窮屈ではあるが、動きを妨げるほどではない。   「米良課長、夜シフトの相良さんが急病で入れないそうです」  心なし気分良く打ち合わせを終えた米良の元に、同じく生産課の鮎原宏紀(あゆはらひろき)がやって来てそう告げた。慢性人手不足の工場では、一人欠けても業務に支障が出る。せっかく今日は早めに帰ろうと思っていたんだが、仕方ない。 「そうか、分かった。僕が入る」 「すみません課長」 「鮎原が謝る事じゃない」  米良は、出勤してきたばかりの鮎原と共にロッカールームへ向かった。いつもの作業服に着替える為に。 「──米良課長、それ、どうしたんですか」  米良は忘れていた。ボディハーネスを身に着けていた事を。
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