予告状

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 トビはこれまで生きてきた中で最も簡単な選択を前に、二の足を踏んでいた。  選択できない理由は簡単だった。ほんの少しの勇気――いや、この場合は思い切りと言うべきか。トビには、それが足りなかったのだ。  先ほどまで満員だったホールは今や、静まり返っていた。  煮え切らない毎日を打破する鍵は、今手の届くところにある。 * * *  始めは冗談かと思った。  パチンコ屋に並ぶ行列で悪友のネズから見せられた紙切れは、一見新しいゲームのビラのようだった。 「……本気か?」 「本気も本気、あったりめぇだろ」  ネズの手から紙をひったくる。それは黒字に白いスポットライトの光が描かれたシンプルなデザインで、真ん中には悪趣味な蛍光色で信じがたい文字が印刷されていた。  ――君も警備隊に加わろう! 大泥棒を捕らえれば、賞金はあなたのもの! 「現代日本で見ることのないような文字の詰め合わせだぞ。……何だ、流行りのアミューズメント施設のビラか?」 「そんなところで金と時間を浪費してる暇があるかよ。俺らにはコレがあるんだからさ」  ネズは右手で、ハンドルをくいくいとひねる仕草をした。確かに、こいつが暇な時間にパチンコの筐体以外へ金を突っ込んでいるところは見たことが無い。 「……それじゃ、これは何なんだよ」 「見た通りだろ? どうした、読めない漢字でもあるのか?」 「あんまり人を馬鹿にすんな。……じゃあ何か、このビラにマジで釣られてるのか、お前」 「だから、本気だってさっきから言ってるじゃねぇか!」  トビは改めて、手にした紙切れを見てみた。先ほどの文字は何かの見間違いかもしれないと思ったのだ。  だが何度読み返しても、一言一句、先ほど読んだ文字と違わない。 「……何だお前、銭形警部にでもなりたかったのか? こんなご時世に夢を叶えるチャンスがあって良かったじゃん」 「バッカだなぁ、トビ。俺が夢追い人に見えるのか。そんなもん持ってたって、今日のメシにはありつけねぇ。夢より白米。幻想より金だろ!」 「そんな現実主義なお前が、何でこんなビラ持ってくるんだよ」 「裏面見てみろ、裏面」  言われるがままに紙を裏返すと、そこには誰もが一度は聞いたことがあるような財閥の名前が載っていた。  加えて、勤務地と、警備員としての日当、交通費の支給額などの記載があり……ページの最下部には「活躍手当」として、泥棒を捕まえた時の賞金額が書かれており……。 「……いち、じゅう、ひゃく、せん……い、一億円!?」  あまりの金額に声を上げると、前後に並んでいた人間の目線が一斉にこちらを向いた。  トビは愛想笑いを浮かべてから再度紙へと目をやり、小声で業務内容を読む。 「業務内容は、一晩ある品を警備すること……その過程で泥棒を捕まえれば、本紙に記載のある賞金を授与する」 「な! な! 俺が持ってきたのもわかるだろ。こんなおいしいバイト、他にねぇじゃん!」  はしゃぐネズを横目に、トビは少し考える。 「……でもこのバイト、明らかに変じゃねーか? だいたい、一晩だけってどういうことなんだ。必ずその夜に泥棒が来てくれる保証でもあんのかよ」 「それがどうやら、確証があるらしい。……どうやら件の大泥棒さんは、ご丁寧に予告状を送り付けてきたんだとか」 「……は?」 「そんでもって、それを挑戦状を受け取ったその財閥のお嬢様は、じいやに声を掛けて警備隊を雇うことにしたんだとか」 「はぁ?」  手にしているビラの文字が可愛らしく見えるほど、およそ現代日本で聞かないであろう単語が、次々と飛び出してくる。  正直、日当をアテにこのバイトに乗ってやってもいいかと思うくらいにはトビの心は揺れていた。しかし、ネズの口から出る単語全てが、トビを現実に引き戻す。 「どうだ? やってみないか、トビ」 「……そうだな……」  トビは顔を上げ、パチンコ屋の看板を見つめる。今日これから数時間打ったとして、このバイトの日当ぐらい勝つ確率はいかほどか。まして、賞金の一億円が手に入る可能性もあるのなら……。楽な方へと流れたい心をせき止めて、トビは決断した。 「わかった、行こうぜ。このチャンス、掴まなきゃ男じゃない」 * * * 「今宵は決戦の日……。皆々様、お集まりいただき感謝ですわ!」  数日後、トビとネズは、たくさんの人が集まった階段ホールにいた。  支給された即席の制服に身を包み、同じ出で立ちをした百名ほどの老若男女に囲まれている。  彼らの目線の先、二股にわかれた階段の頂点で、優美で高級そうな衣装に身を包んだ女性が声を荒げていた。 「件の大泥棒から挑戦状が届いたのが十日前……かの人物はまさに、今晩! わたくしの手に入れたばかりの指輪をもらい受けると、豪胆な宣言をしたのです。……ですから、皆様方にお集まりいただきましたの!」  高らかに宣言する女性をよそに、トビは隣にいるネズに耳打ちした。 「あれが例の?」 「ああ! 今回俺たちを集めたご令嬢ってわけだ。それにしても、噂通り言動も服装も浮世離れしてんな~」 「……本当にな」  あんな言葉で喋る人間を、トビはフィクション以外で初めて見た。……ひょっとしたら、上流階級の人たちの間では当たり前なのかもしれないと、少しだけ思う。 「わたくし、挑戦は正々堂々と受けたい性質なのです。警察に相談することもできましたし、しっかりとした警備会社にお願いすることもできました。ですが、現代日本であのような挑戦状。わたくし少し感動してしまいましたの。最新の設備や統率の取れた部隊ではなく、泥臭く、必死な人々の駆け引きというものが見たいのですわ。……ですから、皆様なのです。大泥棒を捕らえれば一億円。野心と志に溢れた皆様でしたら、きっと彼を捕らえることができましょう!」  トビはホールを見渡した。制服で小ぎれいな恰好になってはいるものの、このバイトのビラを見た時に一緒にパチンコの列へ並んでいた人々と、ほとんど同じ層の人間が百人集まったように見えた。ご令嬢の宣言通り、目つきが鋭かったり、がたいが良かったりと言った、本職の「警備員」はこの場にいないように見える。  まさに、烏合の衆だ。実際、屋敷内の簡単な見取り図は貰ったものの、トビたちに与えられた指示は「指輪を守り、泥棒を捕まえろ」ということだけなのである。 「そしてこれが、皆様に本日お守りいただく指輪……レイニードロップですわ!」  ご令嬢の一声に合わせて、ホールの灯りが落ちる。そして、階段下のガラスケースがスポットライトで照らされた。  その中には、見事な青色の宝石がいくつもついた美しい指輪がきらきらと輝いていた。 「透き通るような青、その奥で輝くシルバーカラー。梅雨空から落ちてきた雨粒のようなこの指輪は、持ち主の儚く美しい面を際立たせると言います。……一説には、身に着けた者の悲劇を吸い、より青く輝くという噂もありますが……そのような噂は好事家の関心を高めるというもの。……皆様には、この指輪に更なる悲劇を刻まぬよう、奮起していただきたいものですわ!」  ご令嬢の説明に合わせて、左右から一台ずつ、大きなカメラを持った人間が指輪に近寄った。  彼らはトビたちのように支給された制服を着ておらず、黒いTシャツにジーパンといったラフな格好だ。 「……ああ、皆様にはご説明しておかねばなりませんね。本日、この大泥棒と皆様との戦いをカメラに収めていただく、テレビクルーの皆様です! こちらもわたくしたちが有利になりすぎないよう、手持ちカメラ一台ずつのみの持ち込みを許可いたしました。もしも皆様が泥棒を捕らえることがあれば、その瞬間はきっと彼らがカメラに収めてくれるでしょう!」  カメラは再び、お嬢様に向けられた。 「……いよいよ、大泥棒の予告した時刻が近付いてまいりましたわ。皆様、どうか気を抜かれぬよう。どのような手口で、相手がやってくるのかわかりませんもの――」  まるでストーリーテラーのように語るお嬢様の言葉を遮るように、それは起こった。  唐突に、階段ホールの照明が落ちたのである。 「おいおい、嘘だろ……!」  ネズの声がかすかに聞こえた。  周囲がざわめく中、トビは一瞬何が起こったのか理解ができなかった。突然視覚情報が無くなったのだ。家で停電を経験したことくらいはあったが、慣れない場所で視覚が奪われた経験はない。あまりに不意に起こってしまった出来事に、彼の頭が付いていくのは少し遅れていた。 「おい、あれって……」  周囲からいくつもの強い光が発せられ、トビの目を眩ませた。  それが支給された懐中電灯だと気が付くのに、また少し時間がかかった。 「あれ、泥棒じゃないか!」 「そうだ、きっとヤツだ!」 「あっちだ、あっちだ!」 「捕らえてください! わたくしも行きますわ!」  誰のものだかわからない声が、周囲から次々と上がる。それと同時に、人の波がわっと押し寄せてきた。  トビは何が起こったかわからず、ひとまず流れる人の波に逆らった。肩に誰かの手がぶつかり、足が払われ、転倒してうずくまっている間に周囲から人の気配が消える。  そして、ようやくトビは腰に付けた懐中電灯を手にして立ち上がった。  そこで彼が見たのは、もぬけの殻になった階段ホールだ。  落ち着いて方向を整理すると、どうやら人の波は玄関の方に向けて流れていったらしい。周囲で行われいた会話を顧みるに、泥棒はそちらに出たようだ。 「やべっ、一億円……!」  トビも慌てて玄関に駆けて行こうとしたところで、ふと、頭を過ぎった。  彼は振り返って、階段下にあったガラスケースに懐中電灯の光を当てる。 「良かった、まだあるじゃん……」  停電の騒ぎに乗じて指輪を盗み出し群衆に紛れて逃げ出すなど、まさに古典的な泥棒が行ないそうな手法ではないか。  百人もいる警備員の誰もその考えに至らなかったのは疑問だったが、きっと皆一億円に目が眩んでいたのだろう。ともかく今回の泥棒の手口がそうではなくて、トビは安心した。 「ってことは、泥棒はこれからここに――」  状況を整理したところで、トビは頭の先からつま先にかけて、ビリッと強い電流が走ったような気分になった。  ――今なら、ひょっとして。この指輪、俺が盗めるんじゃないか?  脳内に渡された地図を思い浮かべる。中庭を経由して裏口に向かえば、玄関側に向かった警備員たちとは鉢合わせずにこの屋敷を出ることができる。ご令嬢は正々堂々とした勝負を重んじており、普段から雇っている警備員を今日は休みにしたのだという。つまり、今裏口はフリーだ。  そして、今やこの階段ホールには誰もいないのだ。烏合の衆は、一人残らず一億円を目指して、玄関方面に現れたであろう泥棒の方へ向かった。  トビはガラスケースに近付く。  この蓋を外せば、泥棒を捕まえるよりも簡単に、多くの金が手に入るのではないだろうか。  自分が犯罪者になる。……そんなことは、今まで考えたこともなかった。けれど、たった一度そのリスクを負えば、日雇いバイトを続けながらパチンコに通う、そんな腑抜けた毎日と決別できるのではないだろうか……?  トビは考える。そして考えるほど、よりよい未来のために自分が選ぶべき選択肢は一つのように思えた。  足りないのは、ほんの少しの勇気――いや、思い切り。  このチャンス、掴まなきゃ男じゃない。パチンコ屋の前でネズに告げた言葉が、トビの脳裏を駆け巡った。 * * * 「確かに、今回は負けてしまいました。ですが次があれば必ず、かの大泥棒を捕らえて見せますわ!」  テレビには、ご令嬢のインタビューが流れていた。  テロップには「酔狂な財閥令嬢、素人百人を従えるも標的を盗まれる」と書かれている。 「いいのですか、お嬢様。世間は貴女のことを笑っているのでは」  きっちりとした衣装に身を包んだ男性が、紅茶を淹れながら語り掛ける。  その隣には、テレビに映っている彼女――財閥の令嬢が座っていた。 「何を言っているの。全て計画通りじゃない」  男性からティーカップを受け取った令嬢は、上品に香りを楽しむ。 「しかし、何もあのような……何と言うか、おどけた口調はいかがなものかと……」 「世の中が求めているのは、センセーショナルな出来事と、痛烈なキャラクターよ? あのくらいの芝居ができなくて、エンターテインメントが成立するものですか」 「はあ……」  紅茶をすする彼女からは、あの階段上で演説をしていた時のような滑稽な様子は感じられない。 「破天荒で、世間知らずのお嬢様……少しおバカで親しみやすいくらいの方が、今の世には合っているのよ。そういうところに、お金も関心も集まってくるの」 「ですが、何も自作自演などなされなくても。なぜ、偽の挑戦状を用意して、あのような素人を集めたのです?」  男性の答えに、令嬢はティーカップを置く。 「巡り巡って、私の元にたどり着いてしまったあの指輪。……話したでしょう、あの指輪は曰く付きだって。売り払ったり、寄付をしてしまえば、その者は非業の死を遂げる……。そうして付いた名がレイニードロップ。死を告げる雨の指輪。そんな非科学的なこと、私は信じていないけれど……これまでの持ち主が遭ってきた事故を考えれば、敢えてリスクを負う必要はどこにもないわ」 「はあ……」  令嬢は、レイニードロップが自分の手に渡る前の持ち主が幾人も亡くなっているのを知っていた。非科学的なこと、と口では言うが、ひょっとしたら、心の奥底で恐れていたのかもしれない。 「盗まれてしまえば、非は私にはない。……それに、盗まれる過程をエンターテインメントにしてしまえば、私を世間に向けて売り出すいいチャンスになる。停電を起こした後、貴方に叫んでもらったわね。泥棒があっちにいるって。……目先の金に目が眩んだ人間は、皆そちらへ向かった。でも、少しだけ頭が回る人間なら、きっとあの宝石を盗んでくれる……私は、そう信じていたの。そして、その通りになった」  男性は、溜め息を吐く。 「まったく、これじゃ道楽と言われても否定できませんね」 「ええ、道楽かもね。でも、実益も兼ねているわ。これで私は、世間知らずで愚かな財閥令嬢となった――。けれど、その分世間から注目を集めることはできたわ。これから忙しくなるわよ」  令嬢は、妖しく笑う。 「もっと、自分を世間に売り込んでいけば……もっと多くのお金と、注目を集めることができますわ! おーっほっほっほ!」
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