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「楓、荷物はまとめたのか?」
少し焦げた目玉焼きが、不機嫌そうな兄ちゃんの箸でぱかりと割れる。
「十時に迎えが来るから、それまでにちゃんと出て行く準備しておけよ」
うん、と頷きながら白いご飯をひと口頬張る。いつもならホカホカ幸せが口いっぱいに広がるのに、今日はなんだか砂みたい。
兄ちゃん、ぼくね、荷物なんか用意しないよ。宝物もぼくの代わりにお線香の隣に残していくよ。
「ワガママ言ってあんまり叔母さんを困らせるなよ。ご飯も好き嫌いせずしっかり食べろ。それから…」
あんまり笑わない兄ちゃん。注意事項を並べるときもやっぱり無表情。
兄ちゃん、二人でいられるのは目玉焼きを食べたら最後なんだよ。ぼくは本当は泣きたいけれど、泣いたら兄ちゃんが怒るから絶対に泣かない。
でもお前は叔母さんのところで幸せになれなんて言わないで。ぼくが平気だと思わないで。噛み付いた箸に鉄の味が混ざって、ご飯はもっと美味しくなくなった。
兄ちゃんはぼくがお茶碗を洗っている間に薄い布団に転がった。こうなったらお昼までは起きない。ぼくはタオルで手を拭いてから足音と息を殺して兄ちゃんのそばに近づいた。
ぽてりと大きな背中に寄り添う。どうかぼくのほっぺが兄ちゃんの低い体温を永遠に忘れませんように。
音量を下げたテレビが町の雪景色を映し出している。モニターの角で数字が動く。ぴったり8:00。十時まで、あと二時間。
…いかなきゃ。
大人用のパーカーをパジャマの上から着込んで、裸足のまま土に汚れた靴を履く。一人で外に出たら、待ち構えていた冬将軍がぼくを連れて行こうと白い粉を撒いた。
でも寒くなんてない。怖くなんてない。今日、ぼくは人生で一番ひどいことをする。見つかる前に、はやく行かなきゃ。
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