3.豊饒の女神

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3.豊饒の女神

 翌年は今までにない豊作だった。人々は豊穣の女神とその元へと旅立ったエリスに感謝の祈りを捧げる。それを俺は腹立たしい気分で眺めていた。せっかく手に入れた女を女神とやらにかっさらわれた気分だ。せっかくあの手この手でようやく自分の女にしたというのに。  収穫を間近に控えたある日の夜明け、ふと目を覚まし俺は丘に登った。さわさわと心地良い風が頬を撫でる。やがて太陽が地平線から顔を出し金色に実る穂を浮かび上がらせた。風になびき波打つその様子はまるで黄金の海のようだ。 「ん……?」  最初は錯覚かと思った。だが、たしかに金色の海に何かチラチラと光るものが見える。じっと目を凝らすとやがてその光は何人もの乙女たちの姿となった。クルクルクルクルと、煌めく光の中で踊っている。さんざめき、さんざめき。乙女たちの中心に立ち背を向けているひときわ背の高い女性はもしや豊饒の女神か。やがてその中の一人が俺の方を見た。エリス、間違いない彼女だ。 「なあエリス。どうしてあの時来なかったんだ。約束したじゃないか。俺たちが離れる理由なんかなかったはずだろ?」  問い掛ける俺の頭に彼女の声が響く。嘲笑と共に。 (俺たちが離れる理由なんてない、ですって? 逆よ。私たちが一緒にいる理由こそないわ)  くつくつと笑うエリスを見て俺は思わずカッとなる。 「おい! お前の父親が犯した罪をなかったことにして村にいさせてやったのは誰だ! 俺だろうが! 俺がいなかったらお前ら家族、とっくに野垂れ死にしてたんだぞ!」  そうだ、俺はひょんなことからエリスの父が昔、作業中の事故で人を殺したことがあると知った。死んだ男の方にも落ち度があり裁かれることはなかったが、元いた村に居づらくなりこの村に移ってきたのだ。 (そうね、あんたは父の起こした事故のことを知り私たち家族を脅した。この村で平穏に暮らしたければ娘を差し出せ、と。両親は断ったはずよ。でも結局あんたは力づくで私を)  それがどうしたというのか。 「何か欲しかったら対価を差し出すのは当たり前だろ。勝手なこと言ってんじゃねぇよ」  エリスは馬鹿にしたような、憐れんでいるような目で俺を見つめている。いつの間にか他の乙女たちの視線も俺に向けられていた。 (両親は死んだわ)  そういえば村に戻ってから彼女の両親を見かけていない。病気かなにかで死んだのか? するとエリスはまるて俺の心を読んだかのように力なく首を振った。 (あんたは街で私たち家族のことを面白おかしく吹聴した。俺は罪人家族の娘をもらってやるんだ。心が広いだろ? なんてね。それが村の人たちの耳に入ったのよ。村の人たちは私たち家族を罵った。あそこの親は罪人なだけじゃなく自分たちのために娘を売るような鬼畜どもだ、とね。父は私と母にすまないと謝り、その翌日首を吊った。元々体の弱かった母はその後を追うようにして亡くなった。でも、もういいわ。全て終わったこと)  エリスは大きくため息をつきくるりと背を向けた。 「おい、エリス!」  彼女は俺の呼びかけを無視して頭の中で囁く。 (ねぇ、知ってた? 金色の乙女に選ばれた者は女神様にひとつだけ願いを叶えてもらえるの)  ゆっくりと遠ざかるエリスと金色の乙女たち。気付けば俺と女神の間には誰もいなかった。煌めく光に包まれた女神の表情はこちらからは全く見えない。だが、両手を上げる動作が見てとれた。あれは……弓? 女神はどうやら弓を(つが)えているらしい。次の瞬間聞こえたのはヒュンと風を切り裂くような音。凄まじい衝撃が俺を貫く。なぜだろう、胸元が熱い。俺はエリスの言葉を反芻する。 ――ねぇ、知ってた? 金色の乙女に選ばれた者は女神様にひとつだけ願いを叶えてもらえるの  これが彼女の願いだというのか。遠ざかっていく女神と金色の乙女たち。エリスが一瞬立ち止まってこちらを振り返り、ニタリと嗤うのが見えた。 了
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