3人が本棚に入れています
本棚に追加
11月15日
おしろい、紅、日本髪のかつら。鏡のなかで微笑んでいるのはもう、私じゃないな。
「似合ってる」
差し伸べられた手を白い手で取り、
「ありがとう」
と返すけれど、心はいつにも増して静かだった。
京都旅行に来た。舞妓さんの扮装など、観光体験にすぎない。
「なに笑ってるの」
着物の袖をめくると、腕時計が顔を出した。華奢なデザインだが、光るシルバーは格好とちぐはぐしていて、おかしい。
「ああ」
手を繋いで、指を絡める。秒針の音が、聞こえてきそうだ。
時計は、男が贈ってくれたものだった。
時代劇の街並みを歩く。建物に溶け込んでいるのは私でも、観光客の中では浮いていた。隣を歩く男が現代風だから、さらに人目につくのかもしれない。
でも、この人が町人姿?
さらにおかしい。
「あの、写真撮ってもらえませんか?」
インスタントカメラを大事そうに持った、女の子。背丈からして、小学校の修学旅行だろうか。
「でも私、観光客だよ?」
それに、写真は。
「いいです、それでも」
「よし、おじさんが撮ってあげよう」
するりと、指がほどけた。喜びの表情で並ぶ少女達が、眩しい。
「ついちゃったね。ごめんね」
左手についたおしろいが、カメラに。自分の右手を見たら、色が薄くなっていた。
「おじさんも撮りますか?」
「ありがとう。でも、大丈夫」
私はただ、曖昧に笑うだけ。
「おじさん達、着替えたところで撮ってもらってるから」
うそつき。
その後も、何人かと写真を撮った。シャッターを切るのは、いつも彼だった。
「Thank you...」
でも絶対に、2人で撮ってもらうことはしなかった。
「いいの?こんな目立つことして」
奥さんには出張、会社には遠方の親戚の法事ということになっている。
「大丈夫でしょ」
この後別々にホテルに向かい、翌朝別々にこの地を後にする予定だ。
2人並んで歩けるのは、今、ここだけ。
私が私じゃない、今だけ。
惜しむように、もう一度指を絡めた。
きものの日
最初のコメントを投稿しよう!