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11月2日
目の色を変えたと思えば。
「勝ちましたね!」
駆け寄る速度は、1歩分速く。距離感と見上げる角度は、わざとらしくないように。
「おうよ!残業で見れなかったのが残念だけど...」
「私、有給取って現地で見てきたんですよ!ワカバと!」
視線には、黙礼で答えておく。
「いいなあ。どうだった?ノーノーの雰囲気」
「すごかったです!一球ごとに、盛り上がっていく感じが!」
野球って盛り上がるんだねと話し掛けられたのは、8回の守備が終わってからだった。
健気な話じゃないか。好きな人と話題を共有するために、興味もないものに手を出すなんて。
「それより、ローテで回って働いて欲しいわ。あいつのスペ体質は気に食わん」
「あ...あー...」
勉強中の単語は、わかったふりした相槌で誤魔化す。
「でも首位は叩けたから、価値あるで」
大きく頷いて、手を振り合う。仲よさげな2人に、不躾な視線が投げかけられている。
しかし、それ以上の収穫があったようだ。
「関西弁、喋るんだ...」
そりゃあ、出身地のチームを応援してるわけですから。無粋なことは、心の声のままにしておく。
満足げに戻ってきた友人は、ホットコーヒーを奢ってくれた。自分で買っていたホットのお茶は、手の中でぬるくなっていた。
鼻歌まで歌い出しそうな背中を、3メートル離れて追いかける。
これは、乙女のスポ根だ。相手に近づく戦略を練り、視界に粘り強く入り続ける。
形から入ろうと揃えたグッズがイケメン選手のものだったのは、ご愛嬌である。
ご苦労様です。
ポケットの中で震えたスマホは、1件のメッセージを通知していた。
『今晩 飲む』
返信はせずに、通知を削除する。
知らんくせにと愚痴るのは、野球友達だ。応援している球団は違うが、話が合う。これやから関東人は...なんて、関東の人間の前で言わないでくれ。
「まだー?」
じれったそうに振り返る友人に手を挙げて、駆け足で追いかける。
たぶん無理だよとも、やめといた方がいいよとも、言わない。
構うこと無く、彼女はただ恋をしている。
私が奮闘しているのは、キューピッドのスポ根。
ちなみに勝ち目は、全くない。
阪神タイガースの日
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