11月22日

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11月22日

降りる駅を間違えた。しまったと思ったのも束の間、人の波に押し流されるようにして駅を出てきてしまった。 まあ、いっか。 こうして開き直れるのは、週末の帰り道だからかもしれない。上、人に流されるのは嫌いじゃない。むしろ、心地よささえ感じる。 なるほど、近くに商店街があるのか。今日はそこで、酒と惣菜を揃えて帰ろう。 進む程スーツ姿はまばらになって、自転車をついた老人や子供の姿が増えていく。5軒に1軒はシャッターが閉じられているが、にぎやかな街並みと言えるだろう。 「おとうさーん」 ランドセルにつけた給食袋を揺らしながら、男の子が駆けてきた。垂れた紐が、カバンに当たる。 振り返ったが、子供は父親に夢中でこちらを見ることはしなかった。気付いていないのかもしれない。現に、誰も何も言わない。 「今日はトビーがね」 「トビー?」 「作業所の兄ちゃん!キャッチボールしてくれたの!」 子供の歩調に合わせているはずなのに、あっさりと自分を追い抜いて行ってしまった。 子供と、細身の男。男が自分より10ほど年上なのが、せめてもの救いだ。 人に流されるのは嫌いじゃない。むしろ、心地よささえ感じる。 結婚願望はある。そろそろ。近いうち。遅れてしまうのは、ちょっと。 子供も欲しい。1人か2人。一般的なくらい。 天ぷらを見つけて、店員に声を掛ける。 「ああ、すみません」 「え?」 「使えないんですよお、うち」 スマホの決済画面に、舌を打った。スーツのポケット、カバンの中身に手をやって、保険の一万円札を探す。 どこいった? 「おばさん、これで」 揚げ物のパックと現金が、横から追加された。 「はいよ」 隣に並ぶ女性に、見覚えがあった。掛ける言葉が見つからない。口の中が苦い。 「誰かと思えば、あかりちゃんじゃない!えっ、彼氏さん?」 「違います違います!仕事でお世話になってる、高瀬(たかせ)さん」 黙って頭を下げておく。 「この前ランチをご馳走になったので、そのお礼に」 「やっすいお礼ねえ。おばさんが足しといてあげるわ」 女性陣の会話が進む内に、えびと野菜が追加され、プラスチックの容器が2つに増えた。 「...助かったよ、花尾(はなお)さん」 にっと上がった口角に、気まずさは感じなかった。 「焦ってる高瀬さん、レアでしたね」 「お願い忘れて」 おかげで、気にせずに会話が続いた。 「そういや、高瀬さんってこっちでしたっけ?」 「ちょっと降りる駅を間違えてね」 「やっぱりレアだ」 明るい声と表情で手を振り合ったから、家に着くまで気付かなかった。 名前で呼んでいくくれていた彼女が、苗字で呼んできたことに。 フラれたのだから、当然だ。 人に流されるのは嫌いじゃない。むしろ、心地よささえ感じる。 結婚願望はある。そろそろ。近いうち。 それでもまだ、何の手も打っていない。 えびも野菜も、なぜか全部が苦かった。 いい夫婦の日
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