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11月28日
人混みの中、足を止めた。
迷惑そうに振り返る人、舌打ちをする人、文句を言いながら去って行く人、全てが景色となって移ろいでいく。
追いかけなければ。1歩を踏み出すと、前の人の足にぶつけてしまったようで、また迷惑そうな顔をされた。
10年のブランクがあれば、人混みも歩けないらしい。
ようやく脱出したところで、彼女を見つけた。10年ぶりでも、見間違うはずがない。
ジーンズで手汗を拭って、腹に力を込める。
「イオリ!」
やっと、迎えに来れたよ。
ピアノ演奏のリズムにのって肉を切っていた手が、止まった。
「海外?」
ドレスコードのある、ホテルディナー。眼下には、宝石を散りばめたような夜景が広がっている。
深紅のドレスは薄暗い店内でも彼女の艶やかな肌を際立たせていて、ハイヒールの高さからも、気合いを感じられた。
なんてったって、複数年の交際期間と高級ディナーだ。子供だって、期待する。
それなのに彼氏が持ち出したのは、指輪ではなく海外勤務の話だ。目と口をぽかんと開けた間抜け面になったって、仕方ない。
「ほんっっと、ごめん!!」
テーブルに頭を打ち付ける男の方が、よっぽど間抜けだ。
「でも、行きたいんでしょ。何年になるの?」
グラスに半分残っていたワインが、空になった。
「わかんない。...けど」
ピアノ演奏が終わり、拍手が聞こえる。演奏者が代わるようだ。
「イオリには、待ってて欲しい」
まごうことなき、本心だった。
「しょうがないなあ」
ワイン1本開けていい?いいやつ。
ダメだなんて、言えなかった。言うつもりもなかった。あの夜は、彼女のためだけの夜だった。
寂しそうに笑む表情から目を逸らさずに、瞼に焼付けた。
「イオリ!」
短くなった髪の毛を揺らして、振り向いた。明るく花が咲いたような笑顔は、昔と変わらない。
「もう、遅いよ」
「ゴメンゴメン」
頭を掻きながら彼女と並び立つ男は、自分ではなかった。
「パパおそーい」
「ゴメンってば。おいで」
母親と右手を繋いでいた少女は、当然のように両親の間に入って歩き始めた。
親子の姿が見えなくなるまで、足は止まったままだった。ただ、吐く息が白いだけだった。
太平洋記念日
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