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11月3日
敏感に他人の気配を察知したのは、肩が大きく揺れた。
勢いよく振り返った顔は青白くなっていて、唇は今にも震え出しそうだ。
ああ、おかしい。
「先輩、緊張しすぎ」
杉並さんは、あがり症
運が尽きたな、と諦めることにした。
若手社員を中心にした、社内コンペのパートナーだ。仕事のできる先輩、話しやすい先輩の数人に根回しをしておいたのに、よりによってくじ引きで杉並さんと組むだなんて。
直接話したことはないけれど、人陰に隠れてモジモジしているイメージ。会議でも絶対多数派に手を挙げるし、意見を述べるときもしどろもどろで頼りない。
現に、ハンカチを握っているだけで何も話してくれない。
人混みの中、同期と目が合った。好奇心と同情の色が、顔に出ている。
うわあ、サイアク。杉並さんには、資料作成だけお願いすればいいかな。
「あの」
「鹿山くん、だよね」
「あっ、はい」
初めて聞いた、杉並さんの落ち着いた声。眼鏡の奥の瞳はしっかりと開かれていて、迷うこと無くこちらを見上げていた。
彼女の深呼吸に合わせて、息を吐く。
「まずは、課題の意図から考えてみようか」
両手に握られていたハンカチは、ポケットに戻る。
「は...はい」
プレゼンまでの1ヶ月間で、わかったことがある。
杉並さんは、不測の事態にひどく弱い。
作業中に声を掛けたら作成中の資料が解読不能なアルファベット文になったり、ランチ中に仕事の話から脱線してプライベートな話題を振ったら驚いて箸を落としてしまったり。
だけどその分、準備がしっかりしている。
「この資料の前に、こっちのグラフ入れようか。提案の着眼点がはっきりするよね」
「提案のネックはコストで、絶対にそこは突かれるから、付加価値は強調できるようにしよう」
プレゼンの資料、筋書き、練習。どれも勉強になった。
驚いたのは、その合間を縫って他のペアの相談にも乗っていたことだ。
そんな人がここまでしてきて、どうして今更、何に怯えているのか。
「ハンカチ、あります?」
「ハンカチ?」
今日も、両手で握られている。緊張と不安を和らげる、杉並さんのお守り。
乾いていたことが幸いした。広げて、首に結ぶ。
本番直前。プレゼンを終えたばかりのペアとすれ違う。
「行きましょう」
不適に上がった口角に、背筋が伸びる。
「ナマイキ」
これは、勝った!!
緩む表情を、懸命に堪えて入室する。
カッコよすぎるって、先輩。
ハンカチーフの日
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