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11月6日
たわいもない、ランチタイムの雑談。
「何かペット飼ってる?」
「うん。えっと...」
いや、待てよ。うちのアパート、ペット禁止だ。あれを正確に表現するなら
「通い猫がいるの」
12時間格闘してきたハイヒールを脱ぎ捨てると、縛り上げてきた欲望が溢れ出てくる。ビール、お風呂、睡眠。
もう一踏ん張りと欲望を打ち倒し、たどり着いたのは台所。
1人暮らしを始めるとき、母が言っていた。「最初が肝心。全部やるつもりでペースを掴みなさい」。
律儀に守ること半年。作り置きと仕送りとレトルトを使いながら、自炊のペースができあがった。
今日は鍋。寒いししんどいし、白菜が安かった。
土鍋を出したところで、チャイムの音が聞こえた。
「うそでしょ...」
猫だ。
「いやあ、委員長がいて助かったよ。久しぶりに帰ってきたら、冷蔵庫が空でさ」
「あっそ」
この猫は、礼儀正しく玄関からやって来る。
「シャワー浴びてくるから、鍋をよろしく。具もスープも、勝手に足して」
「はーい」
従順に振る舞う、イイ子ちゃん。
「あっ、待って委員長」
大人になっても、学生時代のように呼ぶ。柔軟性はない。
「なにっ」
ぐいっと擦ったのは、右目の下。クマを隠そうと、明るい色を入れていた。
ぺたぺたと頬に触れて、化粧品の色と質を楽しんでいるのか。
ほんとうに気まぐれ。こっちの気も知らないで。
たぶん、物珍しいのだ。研究室に籠もる彼の側に、メスはいない。
「もう落とすからいいの!それより、鍋見ててって言ったでしょ」
「ごめーん」
脱衣所のドアを、乱暴に閉めた。
じゅくじゅくと、心臓が膿んでいる。唇を噛んでも、切なさは誤魔化せない。
彼は雄猫。猫だから、人間に欲情したりしない。
ただエサをねだって、頭を撫でてと甘えるだけ。
どんなに可愛がっても、研究室へ帰るのだ。
今日は、たっぷりと湯を張った。どうせしばらく、シャワーしか浴びていないだろうから。
うちのアパートはペット禁止。でもたまに、厄介で愛おしい通い猫が、エサを求めてやって来る。
寂しくはないのよと笑い話にしたのは、8時間前のことだった。
アパートの日
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