私の中の君は、私の先生

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「君が死にたくなるのは、どんなとき? 良かったら教えてくれないかな」と初対面の人間に訊かれたら「何でこいつ突然キモいこと聞いてくんの」とか「不渡り手形を出しそうな今こんなときに訊くかよ」とか「うるせー滅多刺しにすっぞ」とか「一緒に死んでくれない?」とか「あ僕は不老不死なんで死にたくなっても死ねません」とか色々あったりなかったりすると思う(どっちだ)。  A子さん(仮名、二十代独身、無職)の場合「自分が生霊になっていたと、後になってから気がついたとき」である。ちょっと待って、生霊って何? 生麵とか、それか漢方薬か何かの一種なの? といった質問が読者の背後に湧いている幽霊の如くモワモワひゅうひゅうドロドロと出てきても不思議ではないので、ご説明しよう。  生きている人間の怨霊(おんりょう)で、他の人に憑りつき、災いを為すもの。おおよその辞書には、そんな記述が載っている。例に挙げられているのは平安時代を代表する女流作家の一人、紫式部が書いた『源氏物語』の登場人物六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)だろうか。自分ではどうしようもない激しい嫉妬のせいで絶世の美男子・光源氏が愛した女性を祟り最終的には呪い殺してしまう、そんな業の深い彼女は間違いなく『源氏物語』中盤最大のヒロインだ(異説は受け入れます)。  それはさておきA子さんだ。彼女は最初から誰か祟って生霊になったのではない。生霊化の最初は幼稚園のお誕生会だった。彼女が通園していた幼稚園では月に一度、その月に生まれた園児たちの生誕を祝う合同誕生会が開催された。幼いA子さんは、その日を楽しみにしていたのだが、運の悪いことに当日の朝に発熱し、幼稚園をお休みしなければならなくなった。悲しみと悔しさのあまりギャン泣きの幼女A子さんが不在のお誕生会はつつがなく開催され、皆でケーキを食べていると窓の外が急に暗くなった。先程まで晴れていたのにね、雷でも鳴るのかな、怖いね~などと保育士さんと園児らが空模様を眺めていたら雲の切れ間から人の顔が現れたから大人も子供も分け隔てなく驚いた。発生した大パニックは、急に雲が晴れて空に明るさが戻ることで、どうにか収まった。あれは何だったのかと保育士さん方が首を傾げていると、空に現れた巨大な顔はA子さんにそっくりだったと一部の園児が言い出したものだから、保育士の先生たちは子供らに「そんなことは絶対に言っちゃいけません」と緘口令を敷いた。幼児が大人の注意をそんな簡単に聞くわけないと思いきや、本当にヤバいものには変なちょっかいを出してはならないと本能的に分かっているようで、熱が下がって幼稚園に通園してきたA子さんに「お空からこっちを見てたよね」などと言わず、普段通りに受け入れた。怪事件の後も他の園児たちからいじめられたり無視されることなくA子さんの幼稚園生活は続いたが、A子さん本人は気まずかった。空の上から幼稚園を見ていた記憶があったのだ。お誕生会の時はかかりつけの小児科を受診していたA子さん、点滴をされていたが暇で暇でしょうがなく、母親にジュースが欲しいとねだり、母が買い物に席を立った間、ベッドで「みんな、私の分のケーキも食べちゃったかな」と気になっていたら次の瞬間には空の上にいて、そこから幼稚園を覗いていた。皆が自分に気がつき大騒ぎになったので「これはまずい!」と思って目を瞑ったら、またベッドに戻っていた。その間、十秒も無かっただろう。夢を見たのだ、とA子さんは思った。けれど夢ではない感じもした。その感じは、やがて確信に変わった。体調が回復し、幼稚園に行くと、皆の空気が以前とは変わっていたのだ。それでも子供たちは、また前と同じように接するようになったが、保育士の先生方は、内心の恐怖を隠してA子さんと関わっている感じがした。その対応に傷つかなかったわけではないが、それ以上に「人のことを気にしすぎるとろくなことにならない」という後悔の念にも似た感情が強かった。そういった反省を踏まえて成長したA子さんは、しばらく異常体験が起きなかったので「あ、あれは一時的な怪奇現象だったのだな」と思ったのだが、思春期に入って再び変な経験をすることになる。好きな男子の周囲にA子さんに似た何かが出現するようになったのだ。それがA子さんの生霊だった。    その男子が洋式便座の蓋を上げるとA子さんによく似た女性の顔が水面に映る。風呂の蓋を開けると湯舟にゆらゆらA子さんに似た何者かの姿が浮かぶ。布団をめくると、そこにはやっぱりA子さんっぽい娘が寝ている。テレビを付けたらA子、スマホの画面にA子さん、鏡を見ればA子さん、爪を切っていたら全部の指にA子さんの顔が浮かび上がっては消える。心霊的なストーキングの連続で、彼は精神的に参ってしまった。この男子が、A子さんの同級生のような身近な存在だったら、A子さんもただでは済まなかったかもしれない。その男子が芸能人でA子さんとは面識がなかったから、A子さんは責められずに済んだ。その代わり、その男子が所属している大手芸能事務所に雇われた除霊の専門家チームから「悪霊退散!」と呪術的に攻撃され、そこで初めて自分を悪霊みたいな存在つまり生霊と認識するに至った。それでも、その男子に対する生霊A子さんによるストーカー行為はしばらく続き、別の男性芸能人に興味の対象が変わって、やっと収まった(霊的な追っかけをする相手が変わっただけではあるが)。  こういった行為は、後になって後悔する。生霊になって好き放題やっているときは物凄く、そう、死ぬほど楽しいのだけれど……生身の体に戻り、生霊になっていた間の記憶を反芻すると、恥ずかしくて死にたくなるのだ。  どうにかしたい、と思い色々やってみたのだが、生霊となるタイミングも生霊状態時の自分をコントロールすることも出来ず……そして最近になっても、また同じような失態をやらかしてしまったのだ。  それを思い出すと本当に死にたくなるってか、死にたい。切実に。  そんな沈鬱な気分で当所(あてど)も無く地表を彷徨(さまよ)い歩くA子さん。暗い表情で足元の地面だけを見つけトボトボ、トボトボ進み、そして溜息、また歩き出す……を繰り返す彼女の姿を見れば、どこか具合でも悪いのですかと優しく声を掛ける者が一人ぐらいはいても良さそうに思えるのだが、暗い世相の現代日本が話の舞台なので誰一人、そう、たったの一人も声掛けする者はいない。  それもそうだ、死に場所を求めて流離(さすら)うが如き女に関わりたい奴など、自殺ほう助を企む悪漢を除いては、誰もいない――違った。いた、声を掛ける物好きな変わり者が、いた! 「ちょっとごめんなさい。少しお尋ねしたいことがあるんだけど」  澄んだ男の声だった。その響きの美しさに、A子さんの足が止まる。 「凄く死にそうな雰囲気を醸し出しているんだけど、そのことについて質問があるんだ」  凄く奇麗な声で物凄く物騒な発言をサラッとするのは何者か? 無視するつもりだったA子さんだが、どんな顔をしているのか見たくなって、背後を振り返った。 「君が死にたくなるのは、どんなとき? 良かったら教えてくれないかな」  人が死にたい気分にドップリ浸っているときに変なことを言い出すスットコドッコイとは一体、どれだけ不思議な面相をしているものか――と振り返っても、そこには誰もいない。遠くにビルが並び、手前には池、その水面に浮かぶ多くの水鳥やボート、ボートの上には笑顔が見える。しかしA子さんの後ろには人の姿は無く、当然ながら顔も見えない。  それでも声は聞こえる。悪魔か、それとも天使なのか? と考えて周囲を見回すA子さん。周りは人がいっぱいだ。しかし、自分に話しかけている人はいない。 「心の目で見て。大丈夫、君なら見えるよ。さあ、心の目を開くんだ」  姿の見えない人物から話しかけられているのである。普通の人間なら薄気味悪く感じて当然だし、悲鳴を上げて逃げ出したり、あるいは失神するといったオーソドックスだが派手なリアクションも十分にありえる場面だ。  それなのに男の声に導かれ、心の目を素直に開くとは……イケボ声優が人気になるのも分かろうというものだ。だが、しかし! 「見えない」 「え?」 「何も見えないんだけど」 「もっと心の目を見開いて」 「やっぱり見えない」 「おかしいな」 「てかさ、心の目って何?」 「顔にある目玉以外の目」 「それをどうやって開くの」 「念じるんだ、心の奥底で」 「だから、さっきからやってるって」  しばらく頑張ったが結局、A子さんは心の目を開け放つことを諦めた。 「つーか、あんた誰?」  これは失礼、遅ればせながら自己紹介を――と名乗られた名前にA子さん、聞き覚えは無い。 「ごめん、やっぱりアンタ誰?」 「えっと、名前はもういいよね。僕は魂。人の魂。霊魂だとか幽体離脱だとか、そういう関係なんだ」  そういう関係ということは、それって――A子さんは話題に食いついた。 「生霊って知ってる? もしかして、それって生霊にも関係ある話?」 「そういうのも同じカテゴリーだね」  思わずA子さん、右の拳をグッと握り締めた。 「それよ、私が死にたくなるのって、それなのよ!」  その声は大きかった。A子さんの周囲にいた人々が一斉に彼女を見た。やがて皆はA子さんから遠のいて、いつしか彼女の周囲に人の輪が出来た。輪の中心に立つA子さんの耳元で、僕は魂と名乗る男の声が響く。 「僕は気にならないけど、公衆の面前で大きな声を出さない方がいいかも。注目を浴びるのが大好きなら別だけど」  注目を浴びるのなら今ここではない場所、例えばアイドルグループに加入してお披露目の記念パーティー会場とかが良かったA子さんだが、実は自分がどこにいるのか、把握していなかった。死にたいくらい悲しい気分で夢遊病状態だったせいだ。衆人環視の今は、夢から覚めた思いでいっぱいである。とりあえず携帯電話に話しているふりをしようかとスマートフォンを探したが、何も無い。それっぽい格好をするため靴を脱いで耳に当てようかと思案していたら僕は魂が言った。 「しばらく歩くとベンチがあるから、そこへ行こうよ」  魂の助け舟に導かれ手漕ぎボートや足漕ぎボートが行き来する池の畔を歩くと、やがて通路の横に連なって置かれているベンチが見えた。空いているところに腰を下ろすとA子さん、自分がかなり歩き疲れていたことに気がついた。  カップルや家族連れが乗るスワンボートの右往左往する池の上の情景をボケ~と眺めていたA子さんに、僕は魂が話しかける。 「落ち着いた?」 「うん、もう平気」 「それじゃ、君が死にたくなった事情を、聞いてもいいかな」 「いいとも。実は、かくかくしかじか」 「それは大変だったね」 「そうなのよ」  水面に水鳥、ベンチの周りに鳩が遊ぶ。それをボンヤリ見つめながらA子さんは言った。 「話したら、気分が楽になった」 「それなら、聞いて良かった」 「こっちも聞いていい」 「何なりとどうぞ」 「どうして人が死にたくなる理由を聞きたがったの?」 「知りたかったから」 「それって、自殺を防ぐための活動とかなの。ボランティアとか、命の電話みたいなやつ」 「いや、ただの趣味」  ちょっと、悪趣味かな……とA子さんは思った。だが結果オーライとも言える。人の悩みを聞いて自殺を防げるなら、それに越したことはない。  しかし、A子さんの予想とは違って、魂は自殺防止活動の一環として他人の悩みに耳を傾けているのではなかった。 「どういう事情なら人は自殺するのか、興味があるんだ。僕も自殺してみたいからね」  魂の自殺とは、これ如何(いか)に?  訳が分からなかったので、A子さんは僕は魂と名乗る透明の生命体に事情を聞いてみた。 「でも、言いたくなければ、別にいいのよ」  そんなことはないよ、と言ってから僕は魂が自らの身の上話を語り始めた。 「僕は先天的な疾患で寝たきりだ。人工呼吸器が無いと死ぬ。食事も食べられない。目も開けられない。でも、耳は聞こえる。知能も、測定したことはないけれど多分、正常範囲内だと思う。ただ、外界と意思疎通は出来ない。口がきけないからね。目も見えないから、自分の顔は見えないし、両親の顔も見たことがない。そんな毎日がずっと続いていて、そして」  悲惨な話だが、A子さんは突っ込まずにいられなかった。 「見えてんじゃん。私の様子を見て声を掛けたんでしょ? それじゃ見えてるじゃない」 「幽体離脱が出来るようになって、外の世界を見られるようになったんだよ」  幽体離脱とは、何なのか? 経験者が実体験を語る。 「外が見たい、両親と会いたい、話がしたいってずっと願っていたら、願いがかなった。全部の願いがかなえられたわけではないけどね」  外の世界を見ることは出来たし、親の顔を見られた。しかし、話は出来ない。残念ながら、見ているだけなのだ。 「こっちが話しかけても、親には聞こえていないみたい。でも、聞こえる人はいる。ただし、それは生身の人間じゃない。例えば、幽霊。死んだ人だね。それから生霊。生きているけれど、肉体から魂が離れた状態の人。生霊になりやすい人とは周波数が合うのか、コミュニケーションが取りやすいね」  それに該当するのが自分か……とA子さんは思った。 「僕と話す相手は半分以上、誰か特定の人を恨んだり、この世全般を憎悪したりと、ネガティブな思考に染まっている。同時に大抵の場合、死にたいと強く願っている。死ねばすべての恨みつらみが消えて、楽になれると考えているんだ。でも、死にきれない。恨みを晴らすために生きたいという気持ちと、すべてを許して死んでいきたいという気持ちが半々なんだと思う。そういう気持ちを数式化して、怨霊になりやすい性格傾向を導き出したいとも考えているよ」  何かの実験みたいな話である。理解困難な内容ではあるけれど、自らも負の感情に支配されて生霊化したケースが多々あるA子さんにとって、まったく無関係な話ではない。  魂の語る話を頭の中で咀嚼するA子さんに、魂が追加情報を与えた。 「そこで、話が聞ける霊体にインタビューして情報を収集している」 「どんな話が集まったの?」 「皆、それぞれに事情があって、一口では言えない。恨みつらみだけで悪霊になっているわけでもないからね。でも、僕のことなら簡単に言える」  僕が幽体離脱に成功したのは、自殺したいという強い気持ちがあったからじゃないかと思うんだ。僕を苦しめる、こんな世の中に用は無いからね。それに、自分を介護してくれる両親に申し訳が無いから、早く死にたいんだ。だけど、家族と離れ離れになりたくない。寂しいんだ。だから死ねない。きっと、心で強く念じれば、死ねるんだろうけど……と魂は言った。  難しい問題だった。A子さんは、自分が死にたくなった最新事情を話さなくて良かったと胸を撫で下ろした。魂の話と比べて、羽毛のように軽く、実に愚かしかったのだ。  小説家志望のA子さんは、とある文学賞の公募に向けて執筆しているが、これがどうにも上手くいかない。現代日本が舞台の恋愛小説を書かねばならないのだが、それに向けた試みがすべて失敗している。ストレスが溜まった彼女は、いつものように生霊となった。生霊となった彼女が何をやらかしたかというと、様々な悪行三昧だ。文学賞を募集している編集部に現れ、郵送された原稿用紙を片っ端からシュレッダーに掛ける。投稿サイトの公募コンテストに出展された作品は、その文章のデータを修正不可能な文字化けに強制変換する。投稿前の作品にまで魔の手を伸ばし、原稿が保存されたハードディスクを破壊する――もしも自分のパソコンから「カチカチカチカチ」「カリカリカリカリ」「ジジジジジ」等の異音が聞こえるようになったら、それは誰かの呪いかもしれない――といった恐るべき祟りの数々をやらかしていたA子さんは、その事実にやっと気がついて、恥ずかしさのあまり死のうと思って行く当てのない片道旅行に出たのだが……旅行というほどの距離ではないと彼女は、まもなく魂の言葉で知った。 「今日は上野恩賜公園に来てみたよ。そして、西郷隆盛の霊魂と話をして、彼が城山の戦いで割腹自殺した心境とかを尋ねてみたいと思ったんだ。大西郷と呼ばれた大人物だ、きっと参考になるはずだよ」  ここは上野だったのかと、A子さんは驚いた。住んでいるところから、ずっと遠くまで旅してきたと思い込んでいたが、そうでもなかった。だが、何か遠いところへ来てしまったようにも思える。もう、戻れないところへ。時間的に。そう、文学賞の提出期限が迫り、八千字以上という条件を満たすための執筆時間が刻一刻と削られているのに、上野の森なんぞへ来てしまっているのだ!  もう帰れないほど遠い異世界へ漂着してしまったような絶望感と、こうしてはいられないという焦りがA子さんの胸中にある。しかし書くネタが無くて苦戦していたというのも事実だ。ここを離れたところで執筆が捗りそうな感じは、まったくしない。その文学賞の応募要項には『恋愛小説であること』と記されている。A子さんは恋愛小説が苦手だった。読むのも書くのも駄目なのだ。それなのに、どうして恋愛小説の文学賞へ応募を考えたのか……自分でも訳が分からない。  しかし打開策はある。実体験を小説のネタにするのだ。恋愛体験が皆無なA子さんに実体験に基づいたラブ・ストーリーは荷が重い。しかし、生霊の恋愛譚なら豊富だ。これを題材にすれば短編くらいなら、すぐに書けるだろう。そして生霊となって色々やらかした応募者が、それほどいるとは思えない。目新しいのは武器になる。  ただし問題はある。しかも、二つ! 一つは『現代日本が舞台であること』という応募要項の一条だ。生霊が出てきて、それを<現代日本が舞台>の作品を言い切るのは、無理な話かもしれない。しかし「現代日本に生きる十代から二十代女子の全員が同じものを見ているわけでないし、同じものを見ていたとしても感じ方は人それぞれ。目の前の人を生きた人間だと錯覚する者がいれば、その正体に気づいて戦慄する者もいる。そういった認知の違いに作品の焦点を合わせる」とか何とか、言い逃れることは出来るだろう(多分)。やはり二つ目の問題が大きい。それは『恋愛小説であること』という要件だ。  当初A子さんが考えたのは、自らの生霊に悩まされ苦しめられた芸能人男性とのロマンスを恋愛小説化することだった。だが、恋愛小説というよりホラー小説であり、しかも落語の怪談噺『牡丹灯籠(ぼたんどうろう)』と、筋立てが酷似してしまう。  それならば、いっそのこと、この魂だけの存在とのプラトニック・ラブに仕上げたらどうか……と、A子さんは考える。これは難病物でもある。『愛と死をみつめて』や『ある愛の詩』の大ヒットが示すようにラブロマンス、特に純愛物と難病物の親和性は高い。そして、それは売れる、儲かる。マーケットの需要を意識した創作は重要だ。金になる話を創ることは、何より大切なのだ!  無言で虚空を凝視するA子さんに、魂は話しかけた。 「凄く怖い顔しているけど、大丈夫?」 「別に」 「僕、気に障ること、何か言ったかな?」 「何にも」 「それならいいんだけど」  魂は、しばし沈黙して、それから話し始めた。 「まだ何か、話したいこと、ある?」  あるにはある。恋愛小説を書くために、魂の詳細な情報が必要だ。病名とか家族構成とか、詳しい話を聞いておきたい。他には、生霊化のコントロール方法だ。自分が生霊になると、まずろくなことをしない。後になって後悔することばっかりなのだ。その点、この魂は自分を律している。その自己管理術を教えてもらいたい。  A子さんは、恋愛小説に関する話は避け――その話題を持って来ることで、この悲劇的な魂が自分に執着する危険(リスク)を防ぎたかったのだ――自分の自由意志で生霊に変化し、生霊として自由自在に活動できる方法は無いかと質問した。  魂は答えに窮した。 「それは難しいなあ。教えてあげたいけど、口で教えて何とかなるものでもないし」 「そこを何とか、お願いします」  ベンチに座っていたA子さんが宙に向かって何度も頭を下げる姿を目撃した外国人観光客が、面白がってパシャパシャと写真を撮った。元々人目を気にしない性質のある彼女は、他人からの好奇の目を気にせず土下座せんばかりの勢いだった。そんな彼女に困惑したようで、魂が呻いた。 「あの、実は予定があって、さっきも言ったけど、これから西郷さんにインタビューをしようと思っているんだ。だから、時間が取れないんだよ」 「それなら、私も同席します」 「同席するのは構わないよ。だけど、教えるのは難しいよ」 「私、頑張ります」 「教えたことがないから、教え方も何も全然分からないよ。大体にして、口で説明できる事柄じゃないから」 「それなら身振り手振りで」 「僕のこと見えないんでしょ」  体感すれば分かるかもしれないけどなあ、との呟きをA子さんは聞き洩らさなかった。 「それじゃ、私に憑依して下さい。私の体の中に入って、私の全身で体感させて下さい」  魂は沈黙した。A子さんは、自分が恐ろしいことを言ってしまったことに気づき、恐怖で体を固くした。そして同時に、自分の発言が魂に大きな誤解を与えてしまった可能性に気づいて、赤面した。片手を顔の前でブンブン振って否定する。 「私そういう意味で言ったんじゃありませんから」  傍目からは一人芝居を演じているように見えたのだろうか? 新手のストリートパフォーマンスかと勘違いした外国人観光客が、A子さんをスマホの動画で撮影した。そんな彼女の足元を(つが)いの鳩が歩く。 「本気で魂をコントロールしたいと思っているんだよね?」  あらためて魂は確認した。A子さんは瞬時に考えた。生霊となってしまう自分と、意識の無い寝たきりの病人が相思相愛になったとして、そのカップルに、未来はあるのだろうか? と。  考えても仕方の無いことだった。彼女は答えた。 「自分をコントロールできるようになりたいんです」  それじゃ、君の中に入ってみるね。そう言って魂はA子さんの心の片隅に足を踏み入れた。大きな変化があるかと警戒したA子さんだったが、特に何も起こらず若干、拍子抜けした。 【聞こえる?】  心の中に男性の声が響いて、A子さんは驚いた。 【入ってみたけど、いったん出てみるから】  魂がA子さんの外に出たらしい。その声が今度は耳に聞こえてきた。 「出たり入ったりは意外と簡単だった。これなら何とかなりそう」  こんなんで本当に何とかなるのだろうか……と今更ながら疑問が湧いてきたA子さんだが、この異様な体験は小説のネタになるとの確証も湧いてきた(根拠は乏しい)。『現代日本が舞台の恋愛小説』を完成にまで持って行けそうな予感も、確かに湧いてきた(これも根拠は乏しい)。  魂が再びA子さんの中に入った。今度は、その感覚が分かった。何とも言いようのない感じだった。気持ち悪くはない。良くもない。でも、自分の中に他人がいることに、違和感は無い。不思議なほど、普通だ。これが運命というやつなのか、と思わなくもない。 【そっちはどう?】  ありのままの気分を答えると、向こうが色々と気にしてしまうかもしれないと思ったA子さんは、ちょっとおどけて言った。 [先生、こっちは大丈夫です] 【それじゃあ、西郷隆盛像へ移動しよう。まず、ここから修行の始まりだ。魂で歩くんだ。そう、その調子!】  足を動かさず空中を浮遊して進むA子さんの姿を動画に収めた訪日観光客が動画投稿サイトへアップロードすると、関連項目として宙に向かって何度も頭を下げる様子や真っ赤な顔の前で片手をブンブン振っている動画が出てきて、それを日本の神秘か何かと誤解した外国人が撮影場所の上野恩賜公園に殺到した……という話を耳にしたが、本当か疑問だ。  西郷隆盛の幽霊とのインタビューを活字化してインターネットに上げるとA子さんは語っているが、小説家志望のくせに筆不精な彼女のことなので、それがいつになるのか、そもそも本当にやる気があるのかも謎だ。彼女を指導している魂からのコメントは、まだ取れていない。
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