花子の春

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 カーン 放課後の燃えるような茜色の空に爽快な打撃音が響き渡る。白いユニフォーム姿の集団の中に白井君の姿があった。 「おぉー」  ボールが真っ直ぐに飛んでいくのに合わせて、彼らの視線が上空に向かって大きく弧を描いた。  経験者である白井君が綺麗なホームランを打った。クラスで初めてわたしに声を掛けてくれた白井君が野球部に入って以来、こうして帰り道にフェンスの外から野球部を見るのが日課になっていた。あくまでも、帰り道にふと立ち止まっただけですよ、という風を装って。  まぁそうは言いながらも、結局はフェンスにかじりつくようにして見てしまっているのだけれど。練習に集中している白井君は気付いていないはずだ。多分。  白井君がいる野球グラウンドから外れた、このフェンス側に近い場所で練習する体操服の男子数名は、体験に来た初心者のようだ。  先輩と一緒にキャッチボールをしていた。グローブを顔の前に掲げておぼつかない足取りで高く上がるボールの真下を探し――受け止めた。私も小さく声を上げた。すごい、すごい。キャッチした本人もびっくりしたのか、目をまん丸にしてグローブの中に視線を落とし、すぐに「やった」と嬉しそうに表情を緩ませてガッツポーズを作る。  ルールすらわからないわたしには、ああして初めての事に飛び込んで行ける彼らを尊敬する。そして視線は自然と白井君に戻る。  次は右手でバットの真ん中あたりを持ち、姿勢を低くしてバットを横に寝かせる形で構えている。あれは知ってる。バントだ。何のためにやるのかまではわからないけれど、あの特徴的な構えがバントという打撃法だという事だけは、白井君が野球が好きだと知ってから見た野球中継で覚えていた。 「おっ、良い球投げるね。本当に初心者?」  初心者グループから聞こえて来た声に、わたしの視線も引き戻される。 「ずっと野球やりたかったんで。小学生の頃から自主練してました」  真っ黒に焼け、太く筋肉質な腕を腰に当てた大柄な先輩はボールをグローブに叩きつけながら、彼の頭のてっぺんから足元までに視線を巡らせる。 「鍛えたら絶対良い選手になるよ。俺、結構見る目あるんだぜ。下の名前なんだっけ」 「海斗です」 「海斗ね。初心者練習じゃなくても行けるんじゃね?あとで監督に聞いといてやるよ」 「まじっすか!うわあ、ありがとうございます!」  夏川君という周りと比べて背の低い男子が、深々と頭を下げ、子犬っぽい笑顔を見せながら練習に参加していた。他の子たちが少し戸惑いながら練習するなかで、夏川君は、背中からも野球が楽しくて仕方ないというのが滲み出る、というか溢れ出る程だ。  ストレッチひとつ真剣に取り組み、筋トレも玉の汗を流しながらも合間に笑顔を滲ませる。初心者の中では目立つくらい、小柄ながらも筋肉が浮き上がっていた。体操服にも関わらず、背筋や肩の筋肉が鍛えられているのがわかる。腕も胸元も――なに人の身体をじろじろと見ているのだ。急に顔が熱を持ったのを感じて、慌てて視線を逸らした。
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