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「ただいまー。ごめんね、予定通り上がれてたら買い物して帰るつもりだったんだけど。ご飯食べてないよね?冷蔵庫からっぽだったでしょ」
「おかえり。お仕事お疲れ様。遅くなるって連絡来てからコロッケ買って来たよ。残ってたトマトとかでサラダだけ作ったんだ。お母さんのも冷蔵庫に入ってるから」
それだけ言って、背を向けて居間の奥にある自分の部屋に逃げ込もうとしたわたしを、母が手を洗いながら呼び止める。
「学校どう?」
聞かれたくない質問に、思わず背筋にひやりと冷たいものが走る。中学の頃のわたしを知る友達も殆どいない高校に受かったのだから。
入学前、見るに堪えない子供の落書きレベルのメイクから、たれ目を僅かに猫目らしくできる程にはメイクも上達したのだから。
熱心に青春ドラマを見たり、雑誌を読み漁ったりと、準備をしてきたのだから――きっと、うまくやっているだろう。まさか自信満々にメイクをして家を出た娘が、登校途中にすっぴんになって陰鬱とした中学と同じ姿で登校しているとは思っていないはずだ。
「楽しいよ」
できるかぎり明るく、穏やかな口ぶりで言う。洗面所から顔を出した母は「そう、良かった」と皺だらけの目じりの皺を更に深くして笑った。
ひとつに束ねた白髪が目立つぱさついた髪を解きながら、母は冷蔵庫を開けてコロッケを取り出す。
五十歳を過ぎ、一段と痩せてくたびれた背中は、年齢以上に老いを感じさせる。今どき母の年齢でも若々しい人はたくさんいる。そんななかに放り込まれたら、母はきっとお婆ちゃんくらいに見えるかもしれない。そんな風に考えてしまう事もまた、わたしを自己嫌悪の崖っぷちへと追いやる。
「明日からお弁当でしょ」
「うん、そうだね」
「毎朝だもんねぇ。これから三年間、頑張らなくちゃね。あ、できるだけ早出は減らしてもらうつもりだから」
介護の仕事をしている母は、早出の時だと六時過ぎには家を出る。そしていつもくたびれた雑巾みたいになって返ってくる。
「ありがとう。じゃあ、もう寝るね」
「おやすみ」
コロッケにソースを掛ける母に「おやすみ」と返す。居間の隣の和室の襖を少し開けて、仏壇の父の写真にも「おやすみなさい」と呟いてから、自分の部屋に戻った。
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