花子の春

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「あたしの事は美羽で良いよ」 「はい」 「はい、じゃない。固いよー」 「は……う、うん」 「まあいいや。で、こっちは桃ちゃんね」 「よろしくね、灯子ちゃん。なんか、変な感じだね。中学も一緒だったのに。喋った事無かったけど」 「そ、そうだね」  放課後、教室にやって来た美羽ちゃんに紹介された桃ちゃんこと桃瀬あかりちゃんは、わたしと同じ北岡中学だ。二年の時に同じクラスになった事がある。とはいえ、彼女はわたしとは違って友人もいて話す機会も無かった。  クラスのなかではゲームやアニメの話で盛り上がる大人しい方のグループにいたが、それでも楽し気な喋り声は、わたしの耳にもしっかり届いていた。わたしへの虐めには彼女たちは関与していない、関与していないが、止めることも勿論しない。  幸い桃ちゃんは中学の頃の話を切り出す様子は無かった。それだけが救いだった。あんな惨めな日々を、この人たちに知られたくない。特に、白井君には。 「じゃ、俺らは部活行くわ。海斗、行こうぜ」 「おう。またな、緋山」 「ちょっとー、あたしには?」 「はいはい」  限界まで膨らんだエナメルのスポーツバッグを担いだ夏川君は背を向けたまま「春野も、桃瀬もまたなー」と手をひらひらさせ、白井君は苦笑しながら「緋山、また明日な」と教室から出て行った。  友達が出来た。自分の力で出来たわけじゃないし、白井君のおかげだ。それでも友達ができたのは、わたしの人生ではかなりの大きな出来事だ。  昼間のお弁当の事を白井君はどういうわけか謝って来た。謝らなきゃいけないのはわたしの方だ。だから何度も謝った。わたしの事をこんなにも気に掛けてくれる人に謝られる理由が無い。  帰りの電車は逆方向だったが、向かいのホームにいる美羽ちゃんと桃ちゃん。  わたしの立つホームに電車が入って来る直前に、ふたりが「またねー」と手を振ってくれる事――実際には桃ちゃんは美羽ちゃんの隣で胸の前で小さく手を振るだけだったが、それだけでわたしは帰りの電車の中でも終始胸が躍っていた。
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