心を開いて。

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 ひとり、重い足取りで三階の踊り場を曲がり、屋上への分厚い扉へと階段を上って行く。一段踏むごとに重く低い唸り声のようなため息が口の端から漏れる。  美羽ちゃんにメイクしてもらった顔に重量を感じるのは気のせいだろうか。やって貰った時は素直に可愛いと思ったが、やはり教室に入るには勇気が必要だった。  教室に入ってすぐにやって来た白井君が、驚く様子も、茫然とする様子も無く、わたしを見るなりすぐに「良いじゃん。普段も良いけどさ、そういうのも似合うね」と屈託なく微笑んでくれたのは救いだった。  わたしも、正直に言うと、どきどきした。そこは否定できない。だが、すぐにそんな夢の瞬間は現実に引き戻された。傍で見ていた数人の女子たちの好奇の目。こそこそと、でも確実に聞こえる嘲笑に一気に血の気が引いた。  休み時間になると、隣のクラスから知らない女子がふたりで連れ立って「ねぇ、眉毛も自分で剃った?メイクも?」と訊くのだ。頷いた。美羽ちゃんがやってくれたとは言わなかったのは、わたしなんかとあまり親しくしているのを知られると嫌なんじゃ無いかと思ったからだ。これは、中学の頃の実体験から、そういう可能性もあると思ったからなのだが。  ふたりは顔を見合わせ、口元をにぃっと横に引っ張って一目散に隣の教室に駆け込むと「やっぱり剃ったんだってー」と、耳に響くような高い声が廊下にまで響き渡った。  屋上に出ると、今日も快晴だった。春の柔らかな風に乗って流れる、仄かな潮の香り。遠い潮騒を想像しながら、眠たくなりそうなほど平和な表情をみせる海を望める場所に腰を下ろした。 「お母さん、これ大きいよ」  お弁当の真ん中で寝そべるのは大ぶりのちくわの磯部揚げ二本。唐揚げと卵焼きに挟まれて、隙間は僅かにお箸の先が入る程度のすし詰め状態だ。  しめじと豚肉の炒め物に、油揚げの煮物。茶色いお弁当の中で、卵焼きの黄色がやたらと輝いて見える。ご飯はこれぞ日の丸。小さなカリカリ梅が中央に埋まっていた。  わたしの好きなものをメインに詰めてくれたのだ。母が早起きして作ってくれている後ろ姿を想像するだけで、胸が痛い。弁当が嫌なんじゃない。茶色い事が気に食わないんじゃない――。 「ラッキー、今日誰もいない。お腹空いたー。あれ?あそこにいるの花子じゃない?」 「ほんとだ。花子さん、ぼっち飯?さみしー」 「ほら、地味弁なのが嫌なんじゃない?花子の弁当、おじさん弁当みたいって聞いたよ」  顔も名前も知らない人たちの視線がわたしに向けられる。 「っていうか花子、メイクしてない?」 「わっ、マジじゃん。何々、やっぱ高校デビュー諦めてなかったのかな」 「何それ、やっぱ恋?恥ずかしー。あれでしょ、白井君じゃない?やたら白井君に付きまとってるって噂だし。野球部の練習もいっつも見てるって聞いたよ」 「花子がいつも後ろから見てる、みたいな?やばー、ホラーじゃん」  これから食べようと、お箸を持っていた手が止まる。さっきまで穏やかに流れていた遠い潮騒のメロディも止まる。  世界中の音が止まったみたいに、わたしのなかからも、心臓以外の音が止まってしまう。
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