心を開いて。

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「ひーやまっ。珍しいね、今日は野球部見て行かないの?」  校門を出て駅へと向かう途中、声を掛けてきたのは夏川君だ。グラウンドの隅で二人一組になってストレッチをする野球部を、足を止めずにフェンス越しに見ていたわたしは、驚きで思わず声がひっくり返るような叫びを上げてしまった。 「あぁ、うん。今日は何となく……。夏川君は?もしかして具合悪いの?それとも怪我したとか――」  怪我なんてしてしまったら野球が出来なくなってしまう、と慌てたわたしに、夏川君は「ちがう、ちがう」と鞄を肩に掛け直して首を横に振った。 「今日はまぁ、なんていうかな。家の用事。俺、じいちゃんと二人で暮らしてるんだ。ばあちゃんはもうずっと前に亡くなってるから男二人暮らし。まぁ、だから色々あるんだよね」 「色々、ね」と、みかん色に染まりゆく空を仰ぐ夏川君の前髪を、どこかの家から漂うカレーの匂いを抱いた風が撫でた。 「春野に化粧してもらったんだってね。すげぇ得意気に言って来たよ。良いじゃん、似合ってると思う」  左側を夏川君が歩く。恥ずかしくて俯くわたしに合わせるように、一歩一歩、のんびりとした足取りで歩いているのに気づいて、わたしは肩にかけた鞄の持ち手を握り締め、少しだけ歩幅を広げる。  道の先に見える駅のホームに電車が入って来るのが見えた。無機質な金属音を響かせ、空気の抜けるような音を出しながら扉が開く。人々が電車に吸い込まれていき、笛の音を合図に扉が閉まって、また電車がゆっくりとホームを出ていく。  改札へと昇るエレベーターを待っていると、夏川君が「そうだ」と声を上げて。わたしはまたびっくりして、肩が小さく跳ねた。
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