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「海行かない?それとも用事ある?」
海?どうして?とりあえず、わたしは「無い」と短く応える。
駅の構内へは上がらず、単線の踏切を渡り、そこかしこが赤茶に錆びた寂れたシャッター商店街を通る。
商店街を入ってすぐの左手には、お爺さんとその息子らしき人が切り盛りする小さな豆腐屋。ちょうどやって来た中年の女性客に、四十半ば程の息子らしき男性が、店頭にある大きな水槽から豆腐を掬っていた。
また両サイドシャッターが続き、五軒先では高齢のお婆さんが営む総菜屋さんがある。かぼちゃや里芋、切り干し大根などの煮物や、唐揚げ、天ぷら、エビフライなどの揚げ物、焼き鯖などの魚類や、焼きビーフン。おにぎりも数種類ある。
そのショーケースの前では、丸椅子に腰かけ、頭に三角巾を乗せた白髪の老婆が猫もびっくりの強烈な猫背でうつらうつらとしている――かと思うと、わたしたちが通った事に気付いたらしく「こんにちは」と菩薩な笑顔で、皺だらけの手を胸の前で振った。
「こんにちは」夏川君とふたり。会釈と声がぴたりと重なる。
「また帰りに寄るよ」夏川君が手を振り返す。
「えぇ、えぇ。ありがとね」
歯が殆ど無いのか前歯をすぼませながら言うと、再びうつらうつらと身体を前後に揺らし始めた。
「あそこのコロッケ美味いんだぜ。時々部活帰りに寄るんだ。あの婆ちゃん、あんなよぼよぼだけど只者じゃないよ。前に教えてくれたんだけど、一緒にやってた旦那さんは五十三歳の時に病気で亡くなったんだってさ。すげーよな、ひとりで。ひとりでも、あんな風に穏やかに生きてられるってすげーよ」
豆腐屋と総菜屋、あとは激安の服屋があるだけの商店街を抜け、細い路地を右へ左へと曲がり、コンクリートの高い塀が道の先まで続く通りに出ると、ふわり、と濃厚な潮の香りが下り坂から駆け上って来た。
学校から見るより深い青が道の先に見える。思わずわたしも走り出したくなるのを堪え――と、夏川君が鞄を背負い、いたずらっぽく白い歯を見せてわたしを見た。
「海まで競争。行くぞ、よーい」
「え、あ、ま、まって」
「どん!」
突如始まった競争。慌てて駆け出して、運動不足のわたしの足はもつれて前のめりになり、すんでの所で上体を起こして。今度は転ばないよう、少しスピードを緩めて、ゆるやかな坂道を下って行く。
五月の青い空気で大きく膨らんだ夏川君の白いワイシャツの後ろ姿を追いかけて。潮風を吸って吐いて、薄水色に黄色が入り混じり始めた空の下を海へ向かって走った。
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