第二話  ブンガクの目覚め

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第二話  ブンガクの目覚め

 こうして俺の創作生活は始まった。  しかし悲しいかな、文才はおろか、現代文で可もなく不可もない成績を取るので精一杯な当時の俺なのだ。  悪友たちは甚だ心配しているようだった。 「無理すんなって、趣味にすんのが一番って言うしさ」  そう言うこいつは、自身ずっと前にWeb小説に挑戦したことがある奴だ。確か満足な反響も得られず、完結すらできずで、すっかりモチベを挫かれてしまったのだったか。  その果てにたどり着いた答えが、「趣味は楽しむのが一番」というわけである。 「少し、ひとりにしておいてくれ……」  俺はだいぶむきになっていた。  冗談ではなく本気になっているのがわかると、悪友たちもそれ以上からかうことはできないようだった。それで彼らとは、少しずつ距離ができて、日常的なつるみも絶えていった。  俺は、ひとりで頭を抱えることが多くなった。  大胆に宣言した壮大な処女作は、冒頭の二ページでいきなり失速していた。何日も頭を悩ませて、放課後も日が暮れるまで自席でうんうん唸り、時間ばかりがいたずらに過ぎていく。  そんなある日のこと、その日も夕焼けに教室が染まる放課後のことだった。  部活帰りの連中も帰ってしまって、俺は戸締まりを任され、ひとり教室に残っていた。  すると、しばらくして教室の扉が開いた。  現れたのは文学少女様、もとい美優だ。  ほかに人はいない。彼女は相変わらず俺と目も合わさずに、すたすたと自席へ向かう。  俺などいようといまいと関係ない。そんな足取りだ。そうして自席に至ると、机の中を手探りしているようである。  おそらく、忘れ物だろう。  俺は、先日の屈辱を思い出す。むろんのこと、己が勝手に情けなく成り下がっただけとはいえ、やられっぱなしは悔しくて仕方なくもある。  そんな感情さえ負け惜しみでしかないというのに、俺はあのとき、美優のページをめくる音がやけに威圧的だったことを思い出していた。それで、今度はこちらが先に教室にいて、席に着いているということで、俺は先日の仕返しで、ペンをノートに走らせる音で圧力を掛けてやろうと試みる。  さっさと用事を済ませて帰ったらどうだ、と。  しかし、上手いことそうはならない。ノートに書けそうなことなど、何ひとつ思い浮かばないのだから。俺はただ、震えるペン先を見つめることしかできないのだ。 「魔女の宅急便、知ってる?」  唐突に、美優がたずねる。俺はとっさに振り返ってしまう。  やはり、こいつからペースを奪うことなんて、出来やしない。 「スタジオジブリの名作。知らない?」 「……名前くらいなら」 「十三歳の女の子が、知らない街で修行をするお話。女の子は、挫折しそうになるの。そんなとき、画家の女の人がアドバイスをくれる。描けないとき、自分がどうしているのか」  美優が、こちらに近づいてくる気配が伝わった。 「描いて、描いて、描きまくる。それでも描けなかったら?」  その先は、俺も聞いたことがあるように思った。 「……描くのをやめる」  美優は、俺の隣まで歩み寄ってきた。 「私がけしかけたみたいだからさ……責任は感じてる」  ふわっと、なんだか甘い香りがした。 「でもね。思いつめると、作品も窮屈になるよ」  それは、今までにこいつの口から聞いたこともないような、やわらかい声だった。  夕陽が窓の向こうから差しているせいで、こいつの表情は、わからない。 「ひとまずノート閉じなよ」  空白の俺のノートに、白く華奢な手がそっと重ねられる。 「そういうときは、何もしない。散歩するんでも、ゲームするんでも。それから――」 「好きな作品を、読む?」  たずねると、美優はなぜか、顔を赤らめた気がした。きっとそれは、彼女の後ろにある夕陽のせいだった。 「……そうね。それもひとつ」 「原点は、そこだもんな」  俺は、改めて自分のノートと向き合う。 「どうすりゃ、ミコトみたいに、書けるんだろう」  何気なくつぶやいたつもりだったけれど、美優は何か物思うようだった。 「ね、見せてよ」 「……え?」 「君の書いたもの。そりゃ……Web小説は詳しくないけど。君よりは小説読んでるし、アドバイスくらい、できるかもだからさ」  俺はためらいがちにノートを渡した。受け取る美優は真剣な表情だった。 「キャラクターかな……?」  ふとつぶやき、手近な席から椅子を引いてくる。  一気に距離が近くなって、俺はドキッとする。 「違う。キャラクターはいい気がする。じゃあ、なんだろう……」  美優は俺の小説を――たとえ冒頭だけとはいえ、純粋に、どうすれば良い作品にできるのか、考えている様子だった。  ……こいつ、本当に小説が好きなんだな。 「ね、あのさ。この主人公、どんな性格?」 「性格って……そりゃあ、どこにでもいそうな普通の……高校生かな?」 「普通ったって、色々でしょ? 普通に勉強ができるのもいれば、普通に友だちがいて、部活に遊びに青春だー!ってのもいるし」 「……そういうのではないな、確実に」 「じゃあ、学校終わったら何してるの? 友だちとゲーム? それとも夕暮れの教室で、ひとりノートを前に悩んでる?」  そうたずねると、美優は小悪魔な笑みを浮かべた。それがかえって肩の力を抜けさせてくれて、俺は自然と口角をゆるませた。 「色々考えなきゃいけないんだな、小説って」 「だから、面白いんだよ。物語もいいけど、先にキャラクター、掘り下げてもいいんじゃない?」 「そうしてみる。色々ありがとな。よかったら、また――」  言いかけて、言いよどむ。その先まで、言っても良いものか。 「……いいよ。ここまでさせたんなら、私も無関係じゃないし」  美優も、なんだか照れている様子だった。 「貸し借りなんて、面倒だからね」と、小声で付け足すのは、素直じゃない態度とやらか。 「連絡先とか、交換する?」  何気なくたずねてくる。  俺は不覚にも動揺しかけてしまう。 「……そうだな」  彼女と同じくらいにはさり気なく聞こえるように、そう返した。  高校に入って、女子と連絡先を交換するのは、たぶんこれが初めてだった。  帰宅すると、さっそく美優からメッセージが届いていた。 「言い忘れたけど、考えるときは、ひとりじゃないほうがいいよ。煮詰まるより、話す相手がいたほうがいいし」  それを見て、俺は妙にほっこりした気分だった。 「じゃあ、今度の週末、一緒に作業する?」  とっさに、そう返していた。  自分で返信しておきながら、急に冷静になる。 「暇だったらでいいけど」  そんな追撃を入れてしまう。  何やってるんだ、俺……。  部屋を右往左往する。  これじゃまるで……誘ってるみたいじゃないか。いや、現に誘ってるし、でも、これはそういう意味じゃないし……。  すると、少し遅れて通知音が鳴る。  俺は飛びつくようにスマホを見た。 「ベタだね。土曜だったら空いてるよ」  彼女からの返事は手短だった。  浅い夢を打ち砕かれたような気もするが、たぶん、気のせいだ。  俺はほっと胸をなでおろす。  期せずして、俺は休みの日に女子とふたりっきりで会うことになった。  小説も書き進んでいないのに、俺自身の物語は、急に動きはじめているようだった。    ※  ※  ※  ※  週末が、待ち遠しかった。  教室ではお互い意識しなかったけれど、俺はつい考えてしまう。いきなり誘ってなんと思われただろうとか、こいつはどんなつもりでOKしたのだろうとか。  とにかく、その日はすぐにやってきた。  待ち合わせ場所は、学校の近所の公園を指定された。敷地も広く、人もまばらな公園だから、美優なりに、誰かに見られるのを避けようとしたのかもしれない。  俺は私服だった。だからきっと、美優も私服だろうと思った。どんな服装で現れるのか、嫌でも想像が掻き立てられた。目つきの悪い昭和ヒロインとしか思っていなかったのに、不本意にも俺は緊張している。  と、そこへ、「お待たせ」と声が掛けられた。こういうときのお約束で、背後からだ。  俺は、ばくばく心臓を鳴らせながら振り返る……と、そこにはいつも通りの、制服姿の美優がいた。  違いがあるとすれば、この日はいつもの三つ編みも解いているということ。  波打つ髪は、なるほど、これはこれで妖しげな気高さを醸している。 「……なんで休みなのに制服?」 「これが一番楽だからに決まってるじゃん。なんで?」  美優は冷たい目を俺に注いでいる。 「いや、別に」 「ふうん?」  明らかに信用していない目だ。 「そんなことより……どこ行こうか? 駅前とかだと、さすがに混むよな?」 「公園の近くのハンガーバー屋さん。そこだったら割と空いてるし」  問い詰めるのも飽きたと言わんばかりに、美優はもう歩を進めている。  なるほど。確かにそこなら奥まった立地で学校の連中もあまり使わない。休みの日なら尚更だ。作業に集中するにはちょうど良い。  こうして俺たちは並んで目的地へ向かうのだったが、足並みの合わせ方からして、なんだかぎこちない。こんなんでいいのかな……等々、俺はむやみに思案が回る。何せ女子と付き合った経験などない。距離の取り方も、話の振り方もわからない。  店についてからも、先導したほうが良いのかとか、席はどっち側に座らせるのが良いのかとか、イチイチ考えてしまう。  美優のほうは何も気にしていない様子で、席に着くとカバンから自習道具を取り出す。そういえば期末テストが近かった……ということを思い出しながら、俺は小説ノートをまさぐり出す。いつかはスマホかPCで書くつもりだったものの、始めは自分の文字で書くことにこだわった。小説っていうのは、もともと「本」なわけだから。時代がどう変わろうと、己の文字で物語をつむぎ出す感覚は、大事なように思う。 「あんた、見栄っ張りだよね」  美優は数学の図形問題を解きながら、不意に言う。 「……なんのことだよ?」 「小説。冒頭もまともに書けないくせにさ。構想あるだの、コンテストで大賞取るだの」  さらに言えば、あこがれの人を越えるとまで、俺は宣言してしまっている。 「大賞かあ。言ったからには、わかってるよね?」  生意気で余裕にあふれる笑みを、文学少女様は俺に向ける。  俺はもごもごと情けない言い訳を並べるくらいしか打つ手がない。 「形から入るのは悪いことじゃないよ」と、情けの発言までたまわってしまう。  その間、彼女は顔も上げず、手も止めずで数学の問題に取り組み続けているわけなのだ。けれども、意地悪なようで、あきれた顔つきなどではなく、楽しそうなのだ。  戯れに扱われるくらいなら、もてあそばれるのも悪くはないか。  それからしばらくは、思い思いの時間を過ごした。美優はときどき絡んできたり、そうかと思えば声を掛けても上の空だったりと気まぐれなものだ。 「ちょっと疲れたかなあ」  やがて大きく伸びをする。その弾みに眼鏡がちょっとズレて、直す仕草が女の子らしいなどと、些細なことにまで感情が揺すられそうになる。 「なに?」  不埒な内心をとがめるように、美優がとがった視線を向ける。  これだ、この目つきがあまりに損をしている。 「……お前、小説のヒロインみたいだなって」 「モデルにしたら、ギャラ取るからね?」  ちょっとした含意の冗談であろうと、だいぶ真意を先回りして冷たく切り捨てられてしまう。小説を書く書かないの以前に、俺は文学少女様に言葉のやり取りですら太刀打ちもままならない。 「さてと。息抜きに歩こうか」  すっかりペースを握られたまま、俺たちは食事のトレーを片してしまうと、表に出た。  まだ昼を過ぎたばかりで、陽の光が心地よかった。 「ふあ~。生き返るなあ」  太陽に手を届かせようとする美優は、まるで果てしのないものにあこがれるようだった。  信号が青になり、公園のほうへ横断歩道を渡ると、俺たちが出てきたハンバーガー屋へと、高らかに談笑しながら向かう女子の集団がふと目に入る。  いかにも目を引く出で立ちの三人だが、その真ん中、ひときわ突き抜けた長身のひとりに、俺はぎくりとする。  プラチナブロンドの長い髪に、透き通るような色白の肌。  まるで異国の人のような雰囲気のそいつは、同じクラスの梁田(やなだ)マユミだ。 「ちょ、こっち!」  俺はとっさに美優の手を引いて横断歩道を小走りに渡った。 「えっ……!?」  美優は意表を突かれた様子だった。でも、構ってはいられない。クラスメートの女子とふたりきりでいるところなど、あの手の表舞台で目立つことのできる人間に目撃されるのが一番マズイのだ。  公園の中まで入ってしまうと、俺はようやくひと安心する。 「なんなのよ……これ?」  美優は、つないだままの手をとがめるようにキツい目を向ける。 「ひゃっ!? いや、これはなんでも!」  俺は慌てて手を離す。 「……別にいいけどさ」  美優はツンとしたまま先にスタスタと歩いていってしまう。  気のせいか、頬が赤くなっていたように見えた。俺はその後ろから付いていく。 「言っとくけど、ツンデレとかそういう、お話みたいな属性、要らないからね?」  何やら、ワケのわからない不平を並べている。 「この公園、よく来るのか?」  苦いとも甘いとも絶妙な空気をごまかすように、俺はたずねる。 「たまにね。学校の帰りとか、もやっとしたときはね」 「お前も、もやっとするときとか、あるんだな」 「青春の悩みなんてものではないから、ご安心を」  俺のような俗物とは違うとでも言いたいのだろうか。  言われるまでもなく、俺と彼女が同じ世界の住人などとは思わない。 「そんなもの、小説の中にしか存在しないのかもしれないな」 「虚構だということにしたいの。そうしないと、楽しめないから」  その声には、急に冷たい陰湿さがあった。 「そもそも、甘酸っぱい苦悩しか描かないのがフィクションでしょ?」  わずかに見せた陰りも刹那、文学少女様はもう掴みどころのなさを笑みにたたえて、心の深みを閉ざしていた。 「いい天気ね、今日はもう、このまま散歩でも――」  澄んだ空を仰ぐ姿は、ふわりと浮かび上がってしまいそうなものの、隣りの俺が付いてきていないことに気付き、足を止めて振り返る。 「お前――」  俺は、彼女の見せた陰りを見過ごせなかった。 「お前も、書いてたりするのか?」 「やっと聞いたね」  美優はまったく動じたりはせず、むしろここでも俺より先回りをしているのだった。 「聞かれたら答えるつもりでいたんだよ」  身を翻した彼女は、俺と向き直り、 「まず、君の質問に対する答えは、イエス」  当然のごとく、本題はそこからのようで、 「そして、あなたは私を知っている」  その先に続けて発された彼女の言葉に、俺は目を丸くする。  つくづく俺は、文学少女様に敵わない。俺が間抜けに浮かれていた間に、彼女がどんな真意を抱えて俺に付き合っていたのか、そんな真意が存在したことですら、見抜けなかったのだから。
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