第一話  文学少女

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第一話  文学少女

 自分にもきっと何かできるんじゃないかって、そう思う瞬間があった。  そんなのは軽い中二病だ。わかっているし、本気でそんなことを考えるのなら、そんな奴、側に置くだけでむず痒い。  俺も「そう思う側の人間」だったはずなのだ。なのに、なぜだろう、気が付くと「そう思わない側の人間」になりすましていたし、あまつさえ「そう思う側の人間」を嫌悪していたかもしれない。  その感情は軽薄な自意識でしかなかったし、俺があこがれた対象に己を重ねて、俺自身「そう思われる側の人間」だと思い込みたかっただけなのだ。  もちろん、甘えたその過剰さも、どこにも行けない、何にもなれない悲しさではあったのだけれど。  愚かで、身の程知らずだったのは、否定しようもない。  あの頃の俺は、そんなこと考えも付かなかった。  だから、すべては当然の報いだったのだと思う。    ※  ※  ※  ※  きっかけは、何気なく訪ねたWeb小説のサイト。  漫画アプリの無料分は読んでしまったし、ユーチューブの新着動画もあらかた見終わり、アプリゲームの季節イベントもめぼしい報酬分は完走してしまった。  その頃はありもしない暇をつぶすばかりの毎日だったし、その日もほかに気を紛らわす対象をなくしてしまって、俺は代わりになるものを探していたに過ぎなかった。  そして俺は、“彼女”と出会った。  ミコト――。それが彼女のペンネーム。  もしかして女の子かな、とは初見から思った。最初はその程度の下心。サイトのトップに偶然見つけたURLが彼女の小説だった。評価も結構高いみたいだし、内容もハズレではないだろうと、俺はURLをクリックした。  最初の1ページを読んで、繊細な文章だなと思った。書き手の可憐な心の内が見えて、少し、惹かれた。  読み進めるうちに、ヒロインの人物像も見えてきた。彼女は日々の些細なことに心を痛め、涙を流した。真剣に生きるその姿に、俺は胸を打たれた。俺も、こんな青春を生きたい。気が付くとそう願っている自分がいた。そんな経験は初めてのことだった。  そして、物語に描かれたヒロインを通して、俺は実在するはずの作者に想いを馳せた。  きっと、このヒロインは作者のミコト自身だ。根拠もなく、確信する。今どきは中高生がWebで活躍することもめずらしくない。だからきっとミコトも、小説のヒロイン同様、高校生に違いないのだ。  どんな子なんだろう?  会ったこともないのに、何度も思い浮かべた。思い浮かべるほどに、あこがれた。もしかしたら、初恋に似た感情だったかもしれない。  もし、ミコトがクラスメートだったらどんなに幸せだろう……。  そんなことさえ、願わずにいられなかった。    ※  ※  ※  ※  それからは暇さえあれば彼女の小説に読みふけった。  俺が熱心にスマホをのぞき込んでいると、クラスの悪友たちは「なんのゲーム?」「新しいイベント始まった?」等々、始めは興味を示す。しかしWeb小説を読んでいると知るや、「それ面白いの?」とあからさまに反応が鈍い。こいつらにとって、小説なんていうのは現代文の授業でやらされるイヤなアレでしかないのだ。  俺がそうやって何日も小説ばかり読んでいると、ついには「お前まで文学少年かよ」とのそしりまで受ける始末だ。  お前まで、との言い分にはワケがある。俺のちょうど斜め右後ろ、窓際の席にぽつりと、ガッチリ結んだ三つ編みの髪に、ぐりぐり模様でも書いてありそうな眼鏡を掛けた奴がいる。いつの時代の漫画の地味ヒロインだよっていう風貌のそいつは、いつもひとりで黙々と分厚い本を読んでいるのだ。  ひそかについたあだ名が、“文学少女”様。  こいつは誰とも交わらない。クラスでもだいぶ浮いているが、こいつをイジメの対象に選ぶ奴はいない。  なんというか、付け入る隙がない。  現に俺の悪友たちが陰口を叩きつつある今も、察し良くこちらに冷たい視線を投げてくる。それで悪友たちはぎくりとして、関係ない話題に切り替えたりしている。  独特のオーラ……は確かにある奴だった。  早乙女(さおとめ)美優(みゆう)。昭和ヒロインちっくな、それがこいつの名前。  見た目はぜんぜん悪くないし、むしろその独特な雰囲気も相まって、やりようによってはミステリアスな美少女なのだが、いかんせん人を寄せ付けない刺々しさが邪魔をしている。  一度、クラスで一、二を争うイケイケ男子が、この文学少女様に興味を示したことがある。入学後二、三カ月で近所の高校含め何十人も食ったとの悪名高いこいつは、普段は狙わない女の子をターゲットに選んだようなのだ。 「ねえねえ、文学ちゃ~ん」とこいつは、持ち前の甘ったるい声で美優に言い寄った。  隣りの席に座り、「なに読んでんの~?」と、さりげないフリで距離を詰める。美優は無視を貫くが、こいつはそのくらいじゃめげない。 「あれ、照れてるの?」と身を寄せたり、美優の手元の本を横から音読したりと、しつこいことこの上ない。  周りもクスクス笑うばかりで、野次は飛ばせど止めることはない。  こいつはこうやっていつも誰かしらを口説いているキャラなのだ。キャラ認定されれば許される。それが「読むべき空気」に支配された愚かしく狭苦しい空間の絶対にして暗黙の論理だ。クラスの女子たちも表向きは嫌悪の声を上げれど、ひとたび白羽の矢を立てられれば抗う意思もままならないのか、結局はまんざらでもない対応を取ってしまう。  という以上に、これはある種のクラス行事なのだ。マジになって反応するのはお門違いなのだ。周りのクスクスも含め、選ばれさえすれば身を委ねるのが逆らいようのない仕来りなのである。  それが、「空気を読む」という営為の本質なのだ。読まずして安寧の学園生活を送ることなど叶わないのだ。  こいつはそれをわかっているし、上手くそう仕向けている自負があるから、攻めの手をゆるめない。クラスで一番の堅物の女の子だって、己の手に掛かれば甘々にゃんこになってしまうと信じて疑わないのだ。  美優もしばらくはされるがままだった。けれども不意にぱたんと分厚い本を閉じた。  その音が、俺の席からも聞こえるようだった。  文学少女様は、虫けらでも見るような目を相手に向けるや、 「君、本当は童貞でしょ?」  そう言い放った。  クラス中に聞こえるくらい、はっきりした声で。  昼休みで賑わっていた教室が、水を打ったようにしんとなる。 「は……っ?」  これにはイケ男氏も戸惑った。 「なに言ってるわけ……?」と反論しようとするが、口ごもる。  イケ男氏は思わず教室中を見回していた。奴は自身の武勇伝を勲章にしているが、噂はうやむやにしていればこそなのだ。童貞なわけない、と否定してしまったら、じゃあ何人食ったのかという切り返しが来る。自己申告すれば嘘臭くなるし、嘘かどうかの問答にでもなろうものなら、かえって興ざめにもなる。  ……という以上に、皆が薄々感づいてはいるのだ。  こいつ、噂されるほどに「モテている」のか、と。  そんなお前の弱みを、いくらでも追撃してやるぞ、という構えで文学少女様は威圧を掛けているのだ。 「……シラけたわ。つまんね」  イケ男氏は悪態をつくと、美優の席を離れていった。  衆目環視の舞台で、カッコ悪く撃沈した彼は、以後「イケイケ童帝」略して「イケ童」などと陰で笑われるのだが、それはまた別の話。  とにかくこの一件があってから、美優の評判は瞬く間に学校中に広まった。それが良い評判でなかったのは言うまでもないが、ある種の畏怖が込められていたことも否定しようがない。  出る杭打とうにも、この高校には昨年度の伝説的な生徒会長の働きで「理不尽な威圧暴力は即刻退学」との過激な法も整備されている。思春期ならではの異質な者への嫌悪感情も、精々が教室の隅の安い陰口を買う程度なのだ。  “文学少女”様は、ますます孤高となり、腫れ物となった。彼女は意図してその地位に居たがろうとしている節がある。触るな危険。まさにその畏怖を纏っていることが彼女にとっては心地良く好ましいのだ。  文学少年などと呼ばれた俺は、期せずして早乙女美優と同じ属性の人間になってしまったのかもしれない。だが、俺は所詮ただのモブだ。文学少女様のように孤高でもないし畏れられてもいない。  今なら、美優がイケ童氏に噛み付いた理由もよく分かる。彼女は、雑に口説かれたことに怒ったのでも、読書の時間を邪魔されて不快だったのでもない。周囲の圧力に流され、従わされる、慣習的な所業に服従することを嫌悪しただけなのだ。孤高であろうと願うのも、交わることに不利益しかない現実への絶望だったのだ。  けれども、当時の俺にはそんな彼女の内心など理解できようもない。異質なマイノリティーは悪であって共感すべく想像力を働かせる余地など無い。イケ童氏の不埒な振る舞いよりも、それを良しとしないくせに愉しんで見守る周囲の人間よりも、同調せず我を張って「浮いた存在」となる美優のほうにぎょっとさせられた。  積極的に忌み嫌うつもりはなかったけれど、かといって親しみを感じることなどありえなかった。  もし、これがミコトだったら――。  そんな考えは、ちらっと頭を過ぎっていたかもしれない。  俺は、ミコトと同じ側の人間のつもりでいた。けれども、早乙女美優は違う。彼女は厳格な文学少女様だ。Web小説なんていう柄ではない。お高く留まっていて、「己がすべて」の、高慢で不遜な堅物だ。  俺とは別世界の住人なのだと思っていた。  あの、夕暮れの放課後までは。    ※  ※  ※  ※  その日は委員会の活動で帰宅がちょっと遅かった。おまけに忘れ物をしてしまって、いったん教室に戻るはめになったのだ。  もう誰もいないと思ったけれど、教室の鍵は開いていた。 「あれ……?」  部活帰りの誰かでもいるのかな。  そう思いながら中に入ると、夕焼けに赤く染まる教室は静まり返り、人の気配はない。  窓際にぽつりとひとつだけ、人影があった。  早乙女美優だ。  休み時間のときと同じように、分厚い本を黙々と読み進めている。  俺は固唾を呑む。教室でふたりきりの状況は、相手が誰であれやりにくい。ましてその相手が相手だ。  席が近い都合上、俺は美優のほうへ向かわざるを得ない。また例の察しの良い冷ややかな視線が飛んでこないか気が気でない。  俺は必死に目を合わさないよう努めた。しかし美優は、視線はおろか、気づいた素振りすらない。眼中にないぞという態度だが、「早くこの場から消えてうせろ」との圧力だけは、ぬるっと放たれている。  奴が本のページをめくる音がいらだたしげに聞こえる。  こんなときに限って、普段から整理の習慣がないのが災いし、目的のものがなかなか探し当てられない。  そして不運も不運、ガサゴソと机の中をあさるうち、引き出しの中に突っ込んでいた教材やら何やらが床にぶちまけられてしまう。あろうことか、その一部は、くだんの“文学少女”様の席のほうへ。  本のページをめくる美優の手が明らかに止まった。  俺は完全にテンパってしまって、ぶちまけた教材を慌てて拾い集めていく。美優も身を屈めると手近な教材を拾い、俺が受け取るのを待っていた。 「ありがとう……」  情けないくらいの小声で、相手の目を見ることもできずに、俺は受け取った。  すると、自席に戻っていく俺の背中へ、 「君、小説読むの?」  文学少女様の声が追いかけてきた。  俺は足が止まった。心臓も止まるかと思った。  恐る恐る振り返る。  彼女は、じっと俺のことを見ていた。 「いつもスマホ見てるし、そんな話、聞こえてきたからさ」と、美優は言葉を続ける。  こいつは、俺の席で悪友たちが陰口叩いていたときのことを、言っているようなのだ。 「ああ……」と俺は生返事をする。  胸を張って「そうだ」とは言い切れない。彼女の手元には、いかにも高尚で難しそうな本が開かれているのだから。 「どんなの読むの?」と、なおも美優はたずねる。その瞳は、純粋に興味がある、と告げていた。  こんな目もできるんだなと、俺は意外な想いがした。  それなのに、 「ただの、Web小説だよ」と俺は、卑屈な感じに笑いながら言う。 「ミコトっていう、その辺のなろう作家の。早乙女なんかとは、全然世界が違うよ」  自分で自分が情けなかった。いっそ己自身を思いっきりぶん殴ってやりたかった。  ミコトの作品をそんな風に、ヘラヘラと悪く言うなんて許せなかった。  なのに、その許せないことをやっているのは、俺自身なのだ。  美優がどんな表情をしているのかはわからなかった。それもそのはず。俺は彼女の目も見ずにぼそぼそと小声で答えたのだから。  きっと興味もなさそうな顔をしているのだろうと思った。人の質問に相手の目を見返して答えることもできない、あきれた野郎だと幻滅しているに違いない。声を掛けただけ損だとため息でもついているはずだった。  すると、美優は手元の本をぱたりと閉じた。  いつしかイケ童氏を威嚇したときと同じ、否、それ以上に険のある仕草で。 「Webとかそういうの、関係ないと思う」  その声に、俺は今一度ビクリとする。  彼女の声は、明瞭な怒気をはらんでいた。 「一作一作が、その人が懸命に書いたものだよ?」  美優は、まっすぐに俺を見据えていた。強い意思のある瞳だった。 「ただの、とか、その辺の、とか、書いた人に失礼だよ」  歯に衣着せず、言いきった。  俺は、いっそ清々しかった。清々しいはずなのに、それを言われたのが己であることが、悔しくてならなかった。 「何がわかるんだよ……」  俺は気がつくと、悪態みたいにそうつぶやいていた。 「お前みたいにエラそうな本、読まねえもん……」  まったくの言いがかりだと、自分でも思う。なのに言ってしまう。  本当は、自分自身が許せないだけなのに。 「じゃあ、君はWeb小説のこと、語れる?」  美優は涼しげにそうたずねる。  動じているのは俺だけで、美優は冷静そのものだ。 「語れるよ……」と俺は答える。声がだらしなく震えている。 「そのうち、自分でも書こうと思ってる」  なぜか、そんなことを言ってしまっていた。 「書くからには、あこがれの人と対等になるつもり」  そうとまで言っていた。 「へえ」と美優は、感心した様子を見せる。 「そのミコトが、あこがれなんだね」  彼女には、まったく動じた素振りもない。 「構想、あるの?」 「あるよ……。とびっきりの奴」 「自信あるんだ?」 「もちろんだよ。今度、コンテストにも応募する」 「ふうん……」  美優は頬杖をついて、細い目で俺を見る。  妙になまめかしかった。けれどそれにときめく余裕なんてなかった。 「大賞、本気で狙ってるから」  強がりなの丸出しで、俺は宣言してしまっていた。  美優は何も言わずに俺を見返していた。  本気で言ってる? 彼女の目がそう問うていた。  けれども俺はそれ以上彼女と対面しているのすら耐えられなかった。  かばんを乱暴につかむと、逃げるように教室を後にしてしまう。  玄関まで来て、後悔やらふがいなさやら、鮮やかな感情が急に押し迫ってきた。  俺は下駄箱に自分の頭を打ちつけ、何度も己を「バカ」と罵る。  不覚にも涙がにじんでしまう。  まったくもって、なんと情けないことだろう。言いたいこともまともに言えず、女の子には泣かされて……。  己の皮膚を離れて巨大な眼が産まれ、惨めな自身をまざまざと観察している気分だ。  でも、あいつの言うことは、なんだかんだと正論だ。  俺はミコトにあこがれて、彼女の小説のすばらしさを、こっそり書き留めたりもしていた。しかし、それを少しでも人に伝えられただろうか。悪友どもに文学少年なんて揶揄されて、少しでもミコトを擁護できたろうか。  日和見な悪友たちと違うなんて思いながら、俺自身、ただの風見鶏ではなかったか。  彼女の魅力を独占したかったのは本当だ。でも、布教する勇気がなかったのも事実だ。そのくせ、俺にはすばらしい審美眼があるかのように思い込み、周囲に埋没しながら空虚な悦に浸っていた。  そしていざという場面になると、自分の好きなものに、素直にすらなれない。  美優とは、瞳の光だけで、差を付けられた。ありもしない暇を潰していた頃と、俺はなんら変わらない。  一言、カッコ悪い。  このままで良いものか? そんなはずがない。こんなみじめな己など、ぶち壊しにしてやらねばなるまい。  俺は心を賭したはずのミコトを、散々おとしめてしまったのかもしれない。せめて己もあこがれの人にならい、Web小説の旗手として立つべきではないか?  俺は下駄箱に頭をぶつけるのをやめた。代わりに決意していた。やってやる、と。  玄関を出ると、グラウンドの向こうに大きな夕陽が落ちようとしていた。  ……こういうとき、夕陽は実際の何倍も大きく描写されたりするものだ。  俺はこの先に待ち受ける創作人生を思い、勇み立っていた。その結果として何がどうなるのかなど、想像も及ばない。あの“文学少女”様は、俺がギャフンと言わされるきっかけくらいにしか思っていなかった。  だから、まさかその“文学少女”様と、あろうことか主人公とヒロインとして、荒唐無稽な物語に巻き込まれていく未来など、予想だにできないのであった。
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