第四話  若紫の愁い

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第四話  若紫の愁い

 ミコトが電子の海の孤高の天才なら、マユミは学校という狭い箱庭のアバずれた一級品だった。  スペックが高いがゆえに寄る辺のない彼女にとり、少々柄の悪い交友くらいが肌に合ったし、クラスと一線画した日陰者も、同じように馴染みある存在と認知されたのか。  とはいえ、その馴染みは高位高所から弄ぼうという、意地悪な性質のそれだったのかもしれないけれど。  マラソン大会から数日後、放課後に俺は美優と街中を歩いていた。  向かう先は、駅近くのカラオケ屋である。 「お、来た来た~」  伝えられていた個室へ入ると、マユミが例の連れふたりと一緒に、中で待機していた。 「てかさあ、本っ当に呼んだわけ?」  ナオっちだかメグっちだかが、口を尖らせて言う。 「いいじゃん、いいじゃ~ん。こいつら、カラオケも行ったことないって言うからさあ。社会勉強ってやつ?」  ふんぞり返ったマユミは、客人をもてなそうなどという態度とはおおよそ程遠い。  悲劇の極みのようにだらしなく悩んでしまう時は、根性の芯から甘え腐っているだけなので、困惑の極みを尽くすくらいがちょうどいい。  マラソンの最中によくもそんな苦しげな御託を、というマユミの助言は、具体にするとこうした実践のようである。 「まあまあ、くつろいできなよ」と軽く言い放つが、異質な者らと異質な空間に置かれて、肩の力など抜けたものではない。  美優は何を思っているのか表情ひとつ変わらず、座席の空いた端のところにちょこんと陣取る。ここへいざなう際も、彼女は少しだけ考えた様子を見せ、 「まあ、弱み握られてるからね」と、やむ無しの納得ひとつ示すと黙って俺の後から従ったのだ。  俺は、その美優とマユミとの間に、限りなく身を縮こませながら収まる。 「え~っと……」  ドギマギしながら、マユミの連れふたりを見比べる。 「あたしがナオ」  金髪ショートに耳出しピアスのほうが自身を指差し、 「あたしがメグ」  と、茶髪をパーマにして片方をサイドで結いたほうが手を上げて名乗る。 「あ……さんきゅ」  どっちがどっちだかわからないという意思くらいは、伝わった模様である。 「さって、歌うよ~。トップバッターあたしね~。プリンセスプリンセス行きま~す」  まさかのこいつが昭和剥き出しの選曲である。よもや文学少女様に当て付けてはいるまいが、選曲からしていちいち煽りがこの上ない。おまけに歌い出すとプリプリがノリノリで妙に板に付いている。人間、見掛けによらないものである。まさかそんなことを学ばせようとしての「社会勉強」ではあるまいが。  しばらくは俺も美優も遠慮してマイクを手に取らなかったが、マユミに突つかれ、びくびくながら俺はとうとう曲を予約する。  とはいえ、選曲はせいぜい、どこかで誰でも聴いたことのあるような懐かしの名曲。柄の悪い聴衆たちは腹を抱えて笑い転げ、俺はなおのこと萎縮するしかない。 「ほらほら~、次は早乙女だよ~」  いつの間に席を移動したマユミは、美優に横から抱きつくように絡みながら言う。  美優はいつもの仏頂面ながら、わずかに照れた様子もありつつ、妙になれた手つきで曲の予約を済ませる。  そうして流れてきたのは、何かのアニメの主題歌のようだった。 「あ、これ昔観てたわ」と、流れてきたアニメ映像にナオがつぶやく。  やさしく、丁寧な曲調のバラードだ。いかにも最終回なんかで採用されそうな旋律である。  美優は大きく息を吸い、マイクを口元にあてがう。そして――。 「うっま……」  メグが茫然とつぶやく。  呆気に取られたのは俺も変わらない。美優に絡みついたままのマユミも、口をぽかんと開けて、懐かしの映像にかぶさる美声の虜である。  そうして数分間の濃密な時間があっという間に過ぎ、一同はぱちぱちと散発的な拍手を送る。 「……たまに来るんだ、ひとりで」  伏し目がちな美優は、今度こそ照れくさそうに言う。こんな表情が出来ようなどとは聞いていない。  俺は、ミコトの小説のヒロインが歌好きで、物語の要所要所で鼻歌なんかを口ずさんでいたのを思い出す。詳細を想像で補いつつ描かれたものと想定していたものの、どうやら作者自身がささやかな歌姫だったようである。 「うあ~~~ずるっ! あたしにも注目しろや~~~!!!」  マユミは半ばやけくそにマイクを手に取った。傍らの歌姫を意識してしまうせいか、その歌い方も熱が入って、なんだか妙に色っぽい。 「この子、スイッチ入ると自分の世界だからさ~」  今は俺の隣りになっているメグが、あきれた調子で小耳にささやく。  こうやって女の子が耳元で囁くことなどそうそうないから、俺は内心ドキドキなのだが、こういう仕草をさりげなくできてしまえるのは、やはり違う世界の住人との感である。  そうして場の空気はいつの間にやら美優とマユミとがのど自慢をする流れに変わり、熱狂の時間は瞬く間に過ぎていって、乾いた喉を潤しがてら、俺たちはハンバーガー屋の一角に落ち着いていた。  今やマユミは美優がすっかり気に入りの様子で、ふたり並んで円卓に収まっている。 「ミユーったらさ、内気なフリしてやるんだからさ~」  下の名前で呼ぶマユミは、もうすっかりマブダチのつもりのようだ。 「こんな賑やかなのは初めてだったから、うれしいよ」  いつもの刺すような目つきはどこへやら、やわらかく緩んだ美優の眼は、はにかみがちな内気少女そのものだ。  しかしそれも、彼女が演出した仮面なのかもしれない。 「乱入しちゃってごめんね。カラオケの時間、決まってたのに」 「いいんじゃないの~。あんたらとつるむのなんか、レアなんだしさ~」  ナオがボトルのジュースを飲みながら言うと、 「マユの気まぐれはいつものことだし? お互いに社会勉強ってやつ?」と、メグもポテトをかじりながら言う。 「んじゃあさ、これに懲りずってことで、良さそうねん?」  マユミは美優の肩に腕を回したまま、企み深くそんなことを言う。  突飛なこの少女の暴走は、どうやらまだここで止まる様相ではなさそうなのであった。    ※  ※  ※  ※  季節はそのまま夏に突入していった。  暑い盛りのこの日、俺と美優とはマユミの自宅前にいた。庭付きの一軒家で、持ち家とのことゆえ、尚更に意外な、それでいて納得せざるを得ない育ちの良さを感じさせる。 「こんなナリだからさ、やんちゃしてるって思われるんだけどさ~」  そう語るマユミ自身によれば、異国じみた風貌の彼女は、どうやら本当に他国の人との混血のようだ。なんでも両親は今はアメリカかロシアのどちらかとのことで、その容姿以上に家柄もまた奇天烈に国際色豊かなようである。 「アニキがもう十分食っていける身の上だからさあ、親が保護者やってる道理もないってわけなのよねん?」  マユミは風船ガムなんか膨らませながら、まるで他人事のように言う。  そのアニキなる人は、ガレージからミニバンタイプの自動車を出してきて、俺たちの側に停車するのだった。 「ほら、行けるよ。乗って~」と、運転席から顔を覗かせたのは、どこかで聞いたような間延びした話しぶりである。  栗毛の髪は、マユミのそれとは違うものの、やはり異国の雰囲気を感じさせる。褐色の体つきは厳つく、只者ではないオーラを纏っている。 「はいは~い。おっ邪魔しま~す!」と快活な返事を寄越すのは、まさか俺でも美優でもない。  ナオとメグも、俺たちと同様に居合わせていた。もっとも、こちらは目下、このアニキなる人が目当てで付いてきたものらしく、そのアニキ氏の前では、ずいぶんと厚く猫を被った様子である。 「アニキ、これで去年一昨年と生徒会長でさ~」  マユミは車体に寄りかかりながら、そんなことを言う。  それを聞いて俺は思い出す。そうだ、ほんの一、二年前まで俺たちの高校は隣町の高校の不良グループと抗争が絶えなかったところ、不良のトップながら生徒会長まで登り詰める天才的なカリスマが現れ、荒れた治安を一気に治めたとの噂があったのである。  その天才の、名前が確か梁田。 「じゃあ、マナブ会長って――」  俺は頓狂な声を上げる。伝説に聞くだけの人物が、またしても目の前に現れたのだ。  美優とミコトの時といい、偶然というのはいたずらにできすぎている。 「お話の中に出てくるヤンキーってのは、イイ奴って相場が決まってるだろ? いいからさ、乗れって~」  マナブさん当人は至ってマイペースなものである。そんなところは、どこかの誰かさんとさすがは同じ血筋である。  広い車内は後部座席が二列になっており、俺と美優は三列目に収まったが、狭さを感じるようなことはなかった。  我々一同は、夏らしく湾岸へのドライブに出かける途上だった。前列の賑やかさを遠目に、文学少女様は、快とも不快とも付かない意味ありげな胡乱の表情である。もっとも、この日は俺もそちら側の態度に落ち着きそうではあった。  とはいえ、混み合うだろう海辺の道を渡るのはほんの短い間で、そのあとは山林への道を迂回しながら進んでいく。知る人ぞ知るちょっとした秘境の温泉宿に近く、マユミの親戚が別荘を構えているとのこと、そこに梁田兄妹は夏のひと時の拠点を構えるとかで、俺以下四人はぶら下がる形でそこに同伴することになったというわけである。 「どうせこの暑さじゃ、仕事になんないからさ~」とマナブさんはおおらかに言う。この人は不良同士の抗争を平定した後、大学受験なんぞは型に嵌った停滞への敗退であるからと、在学中からウェブデザインやらマーケティングやらを学びつつ、単発で案件を受注しはじめ、卒業する頃には立派にフリーランスとして身を立てるまでになったとのことである。  文武両道などとよく言ったものだが、所詮は敷かれた道を器用に辿るだけの通俗さである。真なる秀才とはこうした人を指すのだろう。ゆえに学校などと形ばかりの仕組みではそうした誠も阻害ばかりされるわけなのだが、この人もまた、「世間一般」には善し悪しを言わず「変わり者」に過ぎないのだろう。  優秀と言えば、俺の隣りに何を考えているかも定かならずたたずんだ文学少女様も、また別の尺度で天才の部類だろう。この人も同様に、無害で都合が良いほうの優等生ではないがために不都合なり徒労なりあったのだろうか。俺は、彼女のそうしたところに強い関心があった。  さて、マナブさんのところに俺たちは三日ほど世話になる予定だった。初日は温泉街やその周辺の観光地を巡り歩き、二日目は裏手の山を登りと、実はなかなかにハードなスケジュールである。マユミによると、これも心機一転、停滞した悩みを打開するためとのことである。  押すも引くも半端な俺と美優とを、マユミは文字通り翻弄しようというわけだ。良く言えば、俺の宣言してしまった「青春」とやらを、俺に変わってプロデュースしているのだ。  問題は、当の美優本人がどれほど乗り気なのかというところだが、以前のように制服というわけでもない、質素でありながら身動きの取りやすそうな出で立ちは、彼女なりに乗り気な証かもしれなかった。  目的地の別荘へ到着すると、まずは徒歩にて近場の温泉街に繰り出した。駅からも遠く、直通のバスの便もないそこは、芭蕉か一茶でも一句詠んでいそうな緑の海で、静けさとやらのほどよく溶け込んだ奥ゆかしさである。  温泉なんて年寄りみたいだと口を尖らせていたナオメグコンビも、言葉にしがたい神秘の静謐にすっかり呑まれ、スマホ片手にふたりで苔むした街角を旅して回っているようだった。  マユミとマナブさんとは、行きつけがあるとかで、そちらへ足を向けたようである。自然と俺は美優とふたり、行動を共にする形となった。 「こんなところに鐘があるね」  美優は、ふもとを見晴らす高台に、ちょっとした鐘が据えられているのが気になったらしい。  物珍しいらしく、彼女は鐘を鳴らした。そうやって彼女が少女らしく素直に興味を示している様子も、なんだか珍しくて新鮮なように思われた。  初夏の静かな空に、すずしい鐘の音色が響く。  ……よく見ると、鐘の側には、「恋人の聖地、幸せの鐘」なんていう文言の彫られた銀のプレートが据えられている。  それで俺と美優はなんだか複雑な気まずさに包まれて、そそくさとその場を退いた。  気分をごまかすように、温泉街を練り歩く。ややもしてマユミと合流すると、甘酸っぱい空気を察したらしきこいつは、詰まるに詰まりきらない距離感も見抜いたようである。 「いきなりお泊りなんてさ、緊張しちゃうよねん?」  ぽんと肩を叩いて冗談めいているが、俺も俺で自分と美優との距離感がそんな風に甘酸っぱい類なるものかどうかは判然としない。こうして散策したり、土産物屋を見て回ったり、日帰り温泉に向かったりの時間を経て、めまぐるしいながらに彼女の腹はなかなかに割れない。俺は俺で、それが気になりつつも、その感傷を恋と考えて良いものかどうかはイマイチぴんと来ない。  夜になって、別荘の縁側に出て花火を楽しんでいる最中に、彼女は急に心を開いた。  俺は偶然、賑やかさから少し距離を取って、縁側に腰掛けると賑やかさのほうを眺めていたのだ。美優はその隣に腰掛けてきたのである。皆は浴衣なんかに身を包んでいた。彼女が着ている、赤と紫の間くらいの淡い色彩は、確か「若紫色」と言うのだ。ミコトの小説で、それは恋の色と形容されていた。 「こんなことになっちゃうなんてね」  と、恋の色に身を包んだ美優が俺のすぐ隣りに身を置く。火花がずっと近いところで弾けたように錯覚しそうだった。 「君が一緒に探そうしてくれたのは、こういう青春?」 「そうかもしれないな」  もっとも、探し当てたのは、俺自身の力ではなさそうだが。 「まるで小説に描かれた物語みたいだね」  そう語る美優も、まるで物語の語り部のようだった。 「自分で体験するのも、悪くないだろ?」 「さあ、どうでしょう?」 「また、書けるようになるといいな」 「いいかもね」  探りを入れようにも、やはり、掴みどころがない。  俺は、いっそのこと思い切って踏み込んでしまいたくもなる。けれども、このときはその勇気が出ない。 「私は、今のままでも恵まれてるんだよ」と、文学少女様はただ一言、そうつぶやいた。 「普通のようには感じられないし、普通のようには振る舞えないから。でも、今はなんとか生きてはいられる。そうしていられる内は、なんの不足もないくらい、幸せなことだと思う」  だからこそ、せめてもの慰みに、孤独の気配だけ空想の世界にぶつけているということか。ならば、気高い文学少女様にも、さびしいと思うことくらい、あるのだろうか。 「わかるような気がするよ」  俺もただ一言、やっと振り絞った。 「ありがとうね」  美優も素直にそう返した。いつも嫌味でしか返してこないくせに、たまのこういう素直さが、ずるすぎる。  ぱちぱちと花火の弾ける音が、まるで別の何かの音のようでもある。  俺は、ようやく彼女のほうへ一歩踏み出せたことで、満足してしまっていた。彼女から屈託ない反応を引き出せたことが、なおのこと淡く気持ちを浮き立たせた。  だから、少しだけ気が大きくなってしまったかもしれない。  翌日、皆で連れ立って山道を往く最中、俺はふと彼女の隣りに並んだ。息が上がっているので、会話がまばらでも気にはならないし、交わすほんの一言二言も、意味が大きいように思われた。  山頂も近づいて、麓への緑の絨毯は、より一層鮮やかに開けてきた。美優はその情景に心を動かされているようだった。 「こんな景色を見るために生まれてきたのかもね」と、不意に詩的なことをつぶやいた。  俺は、自分の生まれた理由など、考えてみた試しがない。 「早乙女は、どうして書くんだ?」  唐突に、そんなことをたずねていた。  自分でも、なぜなのか、わからなかった。けれども、このタイミングだと思った。  美優は、さすがに面喰った様子だった。しかし、戸惑いの表情も一瞬で、見たこともない優しげな笑みを浮かべると、 「死にたかったからかな」  なんの前触れもなく、そう答えた。  俺は頭を打たれたような気分がした。まるで、不意打ちを咎められて、何倍も手痛い仕打ちを返されたようでもあった。けれども、美優は、意地悪でそう答えているわけではなさそうだった。 「私も、この空の一部だったら良かったのにね」  もう俺のほうは見ないで、素晴らしい情景に意識を吸い込まれていた。  それで、彼女との距離は、かつてないほどに、遠く隔たれてしまったように思った。俺は、なんと受け止めて良いものかすら、わからなかった。いつ果てるともわからない道が、突然に急峻となって、俺の足を重たくしながら、覆いかぶさってくるような感覚に見舞われていた。  けれども、死を口にしたとき、彼女の横顔は、一番の涼しさを孕んでいるようにさえ見えたのだった。    ※  ※  ※  ※  書く理由は、死にたいから。  不意に明かされたそれは、想像以上に応えた。俺は当然のように、その真意を確かめる勇気も出ない。  遠いからこそあこがれたし、側近く感じはじめたからこそ、なおのこと手を届けたいと願った。  いつだったか、美優その人が太陽にその手を届かせようとしていたように……。  けれども、あこがれを抱いていた頃は、その距離感を正しく把握などできてはいなかった。如実に感じてしまえば、あこがれる余裕さえ生まれないものなのだから。  美優は、俺に与えてしまったショックに気が付いてはいるようだった。ちょうど淡いやり取りなどしはじめた矢先だったから、それ以上先へは進展しないよう、咎めてきたのではないかとすら邪推しそうになる。  おかしなもので、失ってしまうと、彼女への気持ちは恋だったのじゃないかと後付けのように想いは募ってくる。そうすると、かえって今までのようには自然に振る舞えないのがまた奇妙なものである。  恋煩っているのは傍目にも明らかだったのか、三日の旅を終え、元の街へ帰って解散という段になって、マユミはこっそりと俺の耳元に囁いてくるのだった。 「反省会が必要そうだね、青春少年くん?」  残ってわけを話せというわけだが、今の俺にとっては渡りに船だ。  マナブさんの駆るミニバンが梁田宅へ到着すると、 「ねえねえ、茶でも飲んでく~?」  マユミは、あえてわざとらしく、一同に向かって呼びかける。 「悪いけど、自分らはパスで~」と、ナオメグコンビは負傷兵のようにフラフラと支え合いながら、疲れ果てた様子である。 「私も、ちょっと用事あるから」と、美優も丁重に頭を下げた。 「んま、てなわけだからね~ん?」  誰も彼も帰ってしまうと、マユミはぺろっと舌を覗かせつつ、俺の肩を叩いてそう言った。  茶などと言っていたものだから、てっきり居間にでも通されると思っていたところ、マユミが俺を導いたのはマナブさんの私室である。 「よぉ~、文学少年くん」  やけに大仰なパソコンの前で、これまた大仰な勢いでキーボードを叩きながら、マナブさんはモニターから目を離そうともせずにそう呼びかけた。  先ほどまで何時間も車を運転していた人とは思えないバイタリティである。それはそうと、コンソールに目まぐるしい勢いでコマンドが入力され、バックグラウンドで何やら形相に様々なプログラムが働いているらしいのは、一体何をしているのやら。 「悪いね、人探しするのにもさ、色んなデータベースにアクセスしたほうが早いもんでさ~」  そう言う間にも、モニターには色々な文書やら画像やらが現れては消えていく。 「こいつ、別荘にいる間から昔馴染みにかたっぱしから掛け合ってやがってさ~」  あっけに取られている俺の隣りに、椅子を引いて逆向きに座りながらマユミは言う。  このふたりは、何を企んでいるのか。説明を求めるでもなく茫然としていると、 「君ひとりだけ、なんでも気づいてると思っちゃダメだろ?」  マナブさんは、モニターに張り付いたまま、不意に言う。 「そもそもがさ、君が気にしてたのって、初めからあの子じゃんね?」とマユミがその後を引き取り、 「単なる好奇心ってわけよ、アタシらなりのね~ん」  つまり、どうやら俺がひとりで塞ぎ込んでいる間、この兄と妹は、不可思議な文学少女様の素性について、裏で調査を巡らしていたものらしい。 「俺らがあっちにいる間に、あの子を知ってる人間なら、何人か見つけてたんだよ」とマナブさんは、キーを叩く手を休め、最後にエンターキーを押し込み、 「あとは、キーパーソンを探り当てて、その子が今どこでどうしているのかさえ突き止めれば、手筈はばっちりってわけさ」  ようやくモニターから顔を上げると、あごをしゃくり、そのモニターを覗くようにと促す。  俺とマユミとは、マナブさんの後ろから回り込んで、モニターのほうへ身を乗り出した。  そこには、制服姿の少女のバストアップ写真が一枚。  短く切りそろえた髪が少年的な印象を与える少女だった。もし少年だとすれば、間違いなく美しい少年だった。 「宍原(ししはら)のぞみ」と、その少女の名前をマナブさんは声に出して言う。 「ミユちゃんが小学五、六年生の頃に無二の親友で、ずっと一緒に行動していたらしい。何より、ミユちゃんが物語を書くようになったのは、その頃なんだとか」  とどのつまりは、この短時間に、この人はそこまでの情報を人づてなりネットづてなりで探り当てたようである。 「ふ~ん、あの子と親友ってことは、同級でしょ? んじゃ、アタシらともおないってわけじゃんね?」とマユミ。「ちょうどいいじゃん。その子に会ってみるとかさ。どこの高校なのさね?」 「聞きたいか?」  たずね返したときのマナブさんには、やや表情の険があった。 「なにさね?」と、兄の含意を訝ってマユミは口を尖らせる。 「この子が通ってるのは三高だ」  彼がそう告げると、マユミの表情が真っ白になる。 「会いに行くって?」  やにわにそう付け足され、しかしマユミは追い詰められるどころか、強情になって、 「言ったもんはやるっきゃねえでしょうが。アタシは首突っ込んだら最後まで徹底するんだって決めてんだからね? アニキやっててそれ知らないアンタじゃないでしょうが」  そう言うと、強がりの矛先は俺のほうに向いて、 「君さ、明日の放課後空けとく。いいね?」  ものすごい勢いで凄まれて、俺は助けを求めるようにマナブさんを見やるばかりだが、マナブさんもため息をつきながら、首を横に振るばかりである。 「君、あの子に惚れてんでしょ?」  マユミの声は急に冷たい真剣さを帯びて、俺の胸を突き刺した。 「どうせ空っぽ人間の側でしょ、君? だったらさ、くだんない腫れた惚れたの事象くらいさ、体当たりしといたほうがベンキョーになるよ、きっとね」  あからさまに貶す言い方だが、貶されるだけまだ救いかもしれなかった。  マユミが惚れたのだろうと指摘するその人は、貶すほどにすら、俺のところへ歩み寄ってはくれないのだから。
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