ある日家にアイドルがやってきて一緒に過ごして離れた話

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「おかえりー」  家に戻ると、ソファに寝転がってテレビを見ていたアイドルがこっちを見て微笑む。  か……かわいい。  大きくはっきりとした口調。  さ……さわやか。  ある日仕事から帰ると、家にアイドルがいた。 「ギャハハハハ。」  アイドルがテレビを見ながら笑う。  何を見ているのかと見ると、自分が出演しているバラエティだった。 「お腹すいたね!」  バラエティが終わるとアイドルがご飯を催促するように言う。  普段の食事はコンビニ弁当だが、アイドルが来たとなるとそうもいかずキッチンに立つ。  作ったのは定番、カレー。  「うまい! うまい! うまい!」  アイドルがばくばくカレーを食べる。  食レポがいまいちなのは、テレビと同じだな……。 「明日は4時にスタジオ入りだから先にお風呂入るね!」  食べ終わるとアイドルが立ち上がる。  「え? お風呂入るの?」  「……ダメなの?」  少し困った顔……可愛い……  「いや……いいけど……」  「じゃ! お先ー。」  ちょっと待て、服は持ってきてるのか?  まさか全裸で出てきて服を貸してとか言ったら……   確かに一般の男性よりも小柄だが、私の女性用はムリ。  しまった! こんな時のために男性用の服を用意すれば良かった。てか、こんな時って普通あるか? 「あー、いい湯だったー。」  お風呂から戻ってきたアイドルは、きっちりパジャマを着ていた。 「じゃ、先に寝るね!」  アイドルが立ち上がりベットの部屋に行く。 「お、おやすみー。」  とは言ったものの、どこで寝るんだ?  ベットは一つ、まさか2人で同じベットで!いや、それは、ちょっと…… 眠れない! 明日は寝不足! いや、それよりも気を失うかも。  いや、そうじゃない! 大きさ的に無理だ! シングルだし、普通よりも小さめだし!  立ち上がりベットの部屋のドアを開ける。  アイドルはベットの横、床に布団をひいて寝ていた。  布団はどうやって持ってきた? 「寝よ……」  お風呂に入りドライヤーで濡れた髪を乾かすと、思わず声が出た。  ……今日は疲れた。  ベットの部屋に入ると、アイドルはすやすや眠っていた。  か、かわいい。  ひよっとして、この寝顔を見た女性はこの世に私だけなのでは? いや、お母さんがいるか、どっちにしても……貴重!  パシャ!  思わず寝顔をスマホで撮影した。  次の日の朝、目が覚めるとアイドルはいなかった。  いつも通りに支度をし仕事に向かう。何気ないいつもの生活。  家に帰ると誰もいない。  昨日のことは夢? まさか……そんなこと。  不安が広がる。 「そうだ!」  思わず声が出た。スマホの電源を入れ画像を探す。    あった!  アイドルの寝顔の画像があった。  夢じゃない!  安心すると眠くなった。    目が覚めたのはまだ暗い明け方。何やら外で人の話し声。しばらくすると足音、そして玄関の鍵を開ける音。  ちょっと、怖い……思わず布団を頭から被る。 「ごめん、遅くなったー。あ? 寝てた?起こした? ごめーん。」  声でかっ!  アイドルが帰ってきた。  朝、いい匂いで目が覚める。 「あ、おはよう、ちょうどよかった、今、朝ごはんできたとこ。」  アイドルが私のために、朝ごはん? いや、ちょっと、嬉しい。 「さ、座って、座って。」  目玉焼きにハム、白いご飯。  し……幸せ。 「ギャハハハハ、やっぱ桜葉クンは最高だなぁ、トークの切り返しがうまい!」  アイドルが朝ごはんを食べながらテレビを見て笑う。  朝の情報番組、アイドルの先輩がMCをしていた。 「ね、今日どっか行かない? 今日はオフなんだ。」  私は会社に電話して適当な理由で休みを取った。  2人で出かけた先は、近くのショッピングモール。大勢の人がいた。 「人、多いけど、大丈夫?」  不安になりサングラスにキャップを被っているアイドルに聞く。 「平気、平気、バレそうになったらこうするんだ。」 と言うとアイドルが顎をニューと前に突き出した。 「こうすると、別人に見えるんだって、先輩に教えてもらったんだ。」  受け口のアイドルを見て、思わず笑った。 「あ、おれ、こういうファッション好きなんだー。」  そう言うと、アイドルが吸い込まれるようにショップに入る。  ヒップホップ系のブティック。 「ほら、これなんか最高! かわいいし、君にもぴったり!」  ダブッとした大きめのTシャツ、胸元には派手な大きなロゴ。 「一緒の色違い買おうよ、おれはホワイト、君はオレンジ。」  嬉しい……けど、多分着ないだろうな。  お昼ご飯はモール内にあるレストラン。 「うまい! うまい! ここのオムライス最高、なんていうか、トマト味で味がトマトって感じで……」  やっぱ、食レポはヘタだ。 「松野クンは最高なんだ! 歌もダンスもうまいし、一番尊敬している先輩!」  それからアイドルはいっぱい話をした。仕事のこと、メンバーのこと、事務所の先輩のこと、私はにこにこしながらアイドルの話を聞いた。  テレビのトーク番組と同じだ…… 「明日からツアーだよ。しばらく帰れないかなぁ。」  そうか、もうドームツアー、始まるんだ…… 「オーラスには行くから。」 「本当! 君の前で歌うの、すごく楽しみ! 待ってるからね!」  次の日、アイドルは朝早く出発した。  それから2週間、アイドルは帰ってこなかった。  テレビでツアーの様子が流れた。  元気でやってるみたいだな……  そして、ツアー前期が終了。 「ただいまー、あー疲れたー」  その日の夜遅くに、アイドルが帰ってきた。 「おかえりー。」    あくる日の朝、私が起きるとアイドルはまだ寝ていた。  さすがに今日は休みかな?  起こしてはいけないと、こそっと支度をして仕事に行く。  仕事が終わり、帰りにスーパーに寄る。  しっかり食べて疲れを癒してもらおう、食材をいっぱい買う。  家に帰るとアイドルはいなかった。  今日も帰りは遅いのか?  でも、遅くても、帰らなくても、食べなくてもいいからと、ご飯を作る。  メニューはさすがにカレーはやめてシチュー、ハンバーグに彼の好きなオムライス。  あの店のようにはできないな……  見た目の悪いオムライスが出来上がった。  それからしばらくして…… 「ただいま。」  アイドルが帰ってきた。  あれ? なんか元気ない?  ご飯を食べている時も、アイドルはあまり喋らない。テンションが低い。  こんな姿は初めて見た…… 「何か……あった?」 「うん……実は……映画が決まってさ。」 「え! うそ! すごい!」 「うん……監督は、中原監督。」 「中原監督って……」 「そう、先輩の三宮クンが賞取ったあの監督。」 「えー! すごい、すごいよ。」 「うん……でもさ……自信ないんだ、おれにできるかなって……」 「え! そんなことないよ。できる! きっとできるよ。」 「うん、そうだね。なんか君に言われたら元気出てきた。」  と言うと、アイドルがフォークを掴みハンバーグを頬張る。 「うん、うまい! 肉汁がブァーと出ない、家庭的と言う感じのハンバーグだ!」  元気になってよかった……けど……なんか無理してる。  それから、アイドルは朝早く出かけて夜遅く帰る。  帰ってひたすらセリフを覚える。  疲れが出ているのか顔もむくんでいる、テンションも下がって元気がない。  その日は私が先にお風呂に入り出ると、アイドルがソファの端に体育座りで座っていた。  よく見ると……泣いてる? 「何か、あったの?」 「今日、監督に怒られちゃって……なんでかなぁ、おれ、やっぱ、できないや。」  涙がこぼれて膝に落ちる。 「三宮くんは演技力があるけど……おれには無理、やっぱ無理。」  私は無言でアイドルの背中を抱きしめた。  その日の夜は眠れなかった。  この私がアイドルを抱きしめた!  でも……なんで? ときめかない!   彼のことが好きなのに、なんで?  本当に好き?  好きに決まってる!  アイドルとしての彼が好きなだけじゃない?  いや、そんなことはない! 絶対!  じゃあ、このまま一緒に暮らしていける?  もちろん!  でも、待てよ…じゃあ私はいつ誰にときめくんだ?  今までは、ライブに行くと、彼が出ているドラマやバラエティがある日は……ときめいた!  それだけで嫌な事も耐えることができた!  私はこれからいつ何にときめくのか?  その日の夜、私は一睡もできなかった。  次の日の朝、ベッドから出てリビングに行くと、アイドルがソファに座ってコーヒーを飲んでいた。  目が赤く腫れぼったい……ま、私も多分、そんな顔だ。  私もカップにコーヒーを注ぎ、アイドルの横に座った。 「離れよう……」  ポツリとアイドルがつぶやくように言う。 「え?」 「いや、だってぇー、君の顔に書いてるじゃん。離れたいってぇ。」  アイドルがわざと冗談ぽく言った。 「え! いや、私、そんな……」 「ごめん……おれ、アイドルだから、振られるわけにいかないんだ、カッコ悪いし。だから先に言った。」  ポロリと私の目から涙が落ちた。 「別れようって言ってないよ、離れるだけだから、前みたいなアイドルとファンの距離になるだけだから。」  うるうるとアイドルの目にも涙が浮かぶ。 「ごめん……ごめんなさい、私……私。」 「いや、謝らないでよ、悪いのはおれ、アイドル失格だよ、おれは。」  もう、涙が止まらない。 「オーラスには行くから……」 「うん、待ってる。」  次の日、アイドルは私の家からいなくなった。  オーラス参戦の日。  私は例のオレンジのTシャツで、手製のうちわを持ってドームに向かう。  まさか、このTシャツを着る日が来るとは……  席は、最悪。2階スタンドの後方。  ドームの天井に手が届きそう…… ライブが始まり、アイドルが登場、顔のむくみは取れてる。表情も明るさを戻していた。  よかった、元気そう、私と離れたのがよかったのかな? やっぱ無理してたのかな?  ライブの途中のフリートークで喋るアイドルの声は、ショッピングモールで聞いた明るく滑舌の良い声だった。  アイドルが私と再接近したのは、アンコール、トロッコに乗って近づいてきた。  近づいたと言っても、米粒がおにぎり程度になったくらいの大きさ。  私は手製のうちわを大きく前にかざした。  いつもなら『ピースして!』とか『バーンして!』とうちわに書くが、今日書いたのは『映画がんばって!』だった。  まだ公表していない、私しか知らない事。  アイドルは驚いた顔でうちわを見た、見たような気がした、でも、見たことにする!  そして、親指を立てた手を突き出し、にっこり微笑んだ、ような気がした、でも、そうしたことにする!  私は今まで出したことがないくらい大きな声を出した。  数日後、映画の発表会をニュースで見た。   顔もすっきりしていて、なんか少し大人っぽく見える。  監督からも『演技の幅が広がった』と評価された。  よかった……  私はいつもの生活に戻った。  違うのはコンビニ弁当をやめて、料理を作り出した事。  アイドルのおかげかな?  それと周りの人から強くなったと言われた。  自分でも辛いことや、悲しいこと、仕事で失敗しても乗り越えられるようになったと実感している。  だって、私にはすごいお守りがある!  スマホを開き、うっとり画像を眺める。  そこには、アイドルの寝顔があった。                
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