一生の罪

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「えっと、息子さんは40歳で間違いないですね」 息子は40歳の無職である。新卒の時に有名メーカーに入社し、32歳になるまでに開発部にて輝かしい功績を上げ設計主任の座にまで登りつめた。だが、身に覚えのない入金があり開発費の横領の罪を着せられ懲戒解雇処分を受けてしまった。息子は汚名を濯ぐために弁護士を雇って裁判を起こしたのだが、裁判は敗訴。控訴を行う金もなかった息子はそのまま私達夫婦の暮らす実家へと出戻ってきたのだった。  息子は出戻った始めの2年のうちは面接にも出ていたのだが、結果は芳しくなかった。ポストの前で薄い封筒を眺めながら癇癪を起こす姿を見たのは一度や二度ではない。  やがて、インターネットの就職サイトの登録情報や書類審査で落とされることが増えてきたのか、面接のために外に出ることすらもなくなっていた。  息子は正社員ではハードルが高いと判断したのか、派遣社員やアルバイトの面接も受けていたようだったが、年齢がネックになったのかいずれも不採用であった。  私が覚えている限りでは息子は38歳の段階で家から一歩も出ない「引きこもり」になっていた。その間、インターネット三昧で、食事の際にはインターネットから得たと思しき「政治に対する不満」「企業に対する不満」「インターネットでしか見ないような陰謀論」を壊れたMP3プレイヤーのように宣い続けた。私達夫婦は息子の語るそれを右から左に聞き流すのであった。一度、息子の言うそれを否定をしてみたのだが、癇癪を起こされ部屋から出なくなってしまった。そのため、息子が食事の席で語ることは「うん」「そうなの?」で聞き流し波風を立てないようにすることに努めていた。  私達夫婦も「仕事はどうなっている」と息子に話をするが、その度に「書類審査が通らないからどうしようもないだろ!」と怒鳴られて喧嘩になってしまう。私達も「年金が減らされた」「お父さんもお母さんもいつまでも生きてられない」「心配でたまらない」「幼なじみの〇〇ちゃんはもう小学生の子供出来てるのよ! しっかりしなさい!」「従兄弟も皆しっかりしてるのに!」と発破をかけようとしたのだが、その言葉が過度なプレッシャーをかけたようで「だったらどうしたらいいんだよ!」と癇癪を起こして余計に部屋に閉じこもってしまった。  私はこうして息子と話し合うことを避け、僅かばかりの小遣いを渡し、家事手伝いのように思うことで争いを避ける術を身に着けた。確かに争いは避けられていたが、問題の先送りでしかない。 その先送りを重ねてきた結果が息子の自殺とは…… 後悔をいくら重ねても足りない。息子の癇癪に負けずに話し合いを続けて向き合えばよかったと後悔するばかりである。
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