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息子の死は自殺と断定された。死因は縊死で、私が息子を発見した時には死後既に8時間が経過していたことから、明け方にはもう首を吊っていたと言うことになる。首吊り先はドアノブで高さもなかったことから頸椎が外れての即死ではなく、タオルで首をゆっくりジワジワと絞めての頸部圧迫である。
苦しかっただろう。私も息子の後を追うために同じ形で首を吊ってみたのだが、タオルが首に食い込んだ瞬間に激しく咳き込んでしまい、全力でタオルの結び目を解いて生を拾ってしまった。こんな苦しさに耐えてまで死を選ばざるを得なかった息子をわかってやれなかった後悔の涙が止め処無く溢れてくる。それとも、ただの頸部圧迫の苦しみから出た涙なのか……
葬式は、昨今の事情に合わせて小規模の家族葬で行われた。小規模の家族葬とは言うが、私は3人姉妹の末子と言うことで上の姉二人の夫婦の来訪となり、息子の従兄弟にあたる甥御や姪御夫婦も来ることから、再従兄弟連中も足され、結局のところ20人を超える大人数となってしまった。
夫は一粒種の子で、父側の従兄弟や再従兄弟などは存在しない。
ほぼ、私の親族だけを集めた葬儀となる。
私の両親や夫の両親は既に鬼籍に入っているため、孫の葬儀に出ずに済んだことだけは不幸中の幸いなのかもしれない。
葬祭場では皆、涙を流していた。特に従兄弟連中にとって息子は最年少で末弟にあたり、皆、この上なく可愛がってくれていた。
息子は従兄弟の子供である再従兄弟達を自分がされたようにこの上なく可愛がっていた。そのおかげか、再従兄弟達からは「あこがれのお兄ちゃん」のように慕われていた。小学校低学年の子はともかく、分別の分かる年齢の子は息子の亡骸を前にして止めぬ涙を流すのであった。
皆の涙に包まれた葬儀は瞬く間に終わった。通夜を省き、直葬も同然に行われた短いもので、嵐のように素早く式は過ぎ去った。しかし、何百年も経ったように長く感じていたのは私だけではないだろう。
息子の死亡理由だが、親戚内には誰も伝えていない。無職を苦にして自殺したなんて、あの世(天国と言いたいが、言ってはいけない)にいる息子も親戚内に知られたくないだろうとして伏せることにした。いや、死人に口無し…… 私にとっては「恥ずかしい」「事情も知らない親族に『もっと寄り添ってあげればよかったのに』などと責められたくない」と言う心の方が強かったのかもしれない。
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