一生の罪

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 夫は喪服の懐より一枚の紙を出してきた。緑色のそれは「離婚届」であった。 「本当はあいつが社会人になって家を出たあたりで考えていたんだ。別れよう」 「え…… なぜですか」 青天の霹靂だった。私は夫をずっと愛してきた、それ以上に息子を愛してきたのだが、夫に対する愛を疎かにした覚えは全くない。このまま惰性で「共に白髪の生えるまで」過ごすだろうと思っていた。私には離婚理由に心当たりがなかった。 「子は鎹と言うが、その鎹は我々のようなシロアリに食い荒らされたような材木のような夫婦でも繋げてくれた。だが、それも錆びついてポキンと折れてしまった。我々を繋げると言う役目が大変だったのだろう」 「そんな、四十の息子が鎹だなんて……」 「俺はあいつの手前ずっと離婚しないでいたんだぞ? あいつが生まれてなければ、すぐに離婚したいぐらいにお前達のことは嫌いだった。この歳になってまで離婚しなかったのは俺ら夫婦がいる『実家』を失わせたくなかったからだぞ?」 「あ…… あなた…… 一体、私の何がいけなかったのですか?」 夫の信じられない告白に私は言葉を失いそうになっていた。夫は重い口を開き、その理由を語り始めた。 「君の方の親戚付き合いがもう面倒なんだよ。夏休みや冬休みの時には毎回遠方の親戚宅に行くことになるし、特にSNSで君の親戚達のマウントの取り合いの愚痴を聞かされるのはもう面倒だ」 確かに私達三姉妹はこの歳になっても仲がよくSNSで頻繁にやり取りを行っていた。当初こそ旅行に行ったとか、趣味や朝食などと言った内容を乗せ、意見を言い合うくらいであった。 だが、時が流れ…… SNSでは息子や娘の学歴や夫の収入を比較しあうようになっていた。息子は上の下の大学に通い、就職先も有名メーカーであったため、三姉妹の中では一番の優位に立っていたと思う。その話を夫にする度に渋い顔をしていたのはこういうことだったのかと今更になって納得するのであった。 しかし、息子が無職になってからは状況が一変してしまった。上の姉二人の子が結婚しだすようになり、私はSNSでの会話に入ることが出来なくなっていた。そして、上の姉二人に孫までもが生まれ、いつしか孫の学歴を競う場に変わっていた。出戻りで仕事が無く結婚なぞ出来るはずもない息子にこの手の話題を作ることができよう筈がない。私は疎外感からストレスが溜まり夫にこの件で愚痴を零すようになっていた。夫は渋い顔をしながら頷くばかりだったことを今更になって思い出すのであった。 私が生前の息子に発破をかけていたのは、姉二人とのSNSの会話に入ることが出来ない疎外感からくるものかもしれない……
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