桜坂の王子さま

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桜坂の王子さま

「ほらほら、つかまえて! あー、すり抜けちゃった!」 「サキちゃん、こっちの木の方がいいよ。ほら、たくさん散ってくる」  朝子姉さんとふたりで桜の花びらを追っていた。アスファルトも土も昨夜の雨を吸っているから、花びらは地面に落ちると濡れてしまう。なんとしても空中で捕えたい。 「そうだ。花びらで(しおり)を作ろう!」と、指をパチンと鳴らす朝子姉さん。 「愛光園の図書コーナーの本全部に一枚ずつ挟んでおくのってどう?」と、お姉さんに顔をくっつけんばかりの私。 「うん、いいね! そうしよう!」  入学式まで待てない私は、真新しい紺色のセーラー服に身を包んで県立湖南(こなん)高校の正門に続く坂道にいた。これといった目的があったわけではない。ただ、高校の制服を着て、高校の正門をくぐって、校舎と校庭をぐるっと一周できればそれでよかったのだ。  両側に何十本ものソメイヨシノが植わっているから「桜坂」と呼ばれている。正式な名前じゃない。同じ名前の坂が近年あちこちにできてるみたいだ。  まちでは桜の名所として評判のスポットだ。ふだんは生徒たちと教職員の車以外は入って来ない細い私道だが、この季節には近所の親子連れや、夫婦、カップルなどが咲き誇る桜を見上げながらぶらぶらと上り下りするのだった。  私たちは子どものようにピンクの花びらを追う。 「一本の桜の木からいったい何枚の花びらが落ちるんだろうね」  朝子姉さんが捕らえた花びらをポケットにさらりと落としながら言った。振り返ると髪の毛にもピンク色の花びらが乗っている。 「それ掛ける木の本数……。気の遠くなるような数の花びらが落ちるんだよ。そのうち私たちが空中キャッチできるのはほんの数枚だけ」  偉大な真理を悟ったような感動に浸って言葉を放つ私。いつもよりトーンが高い。空が真っ青だ。 「残念だけど、それが世界の構造だよ」  大人ぶった口調のお姉さんが背の低い私を見下ろす。
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