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私は店長に逃げられないように彼の袖を二本の指で摘まんでいた。好意を感じる相手に無意識にしてしまう行為。人になれなれしい私。
「ソ、ソンケイ?」
店長は誉められた子供のように顔をキラッと輝かせる。
「うん……」
コクリとうなずいて、相手を上目遣いで見つめる。
「……尊敬して……いるし、愛してるんだよな? そうだろ、美浜さん?」
「あ、て、店長、そういう言葉をバイトに言わせるのは……」
そう、セクハラだ。そのセクハラが店長の場合は嫌じゃない。かわいいとさえ思ってしまう。経営者でありながら、ときどき人間的な臭いが枠から漏れてくるのがとても好感持てる。
自動ドアが開き、日課を終えた高校生たちが入って来た。
「こんにちは! いらっしゃいませー!」
店長は背を伸ばし、顧客に軽く腰を折ると、たちまち仕事モードに戻った。
「いらっしゃいませー!」
私も急いでレジに入る。
今日も忙しい。ひっきりなしにお客さんが入ってくる。チキンやコロッケなどのサイドメニューは、私がレジに立つ時間に集中して売れるのだと、店長がパソコンのデータを見せてくれた時もある。
「偉いねえ、キミたちは」
レジに立っていると、店長がお祖父さんのような柔和な笑顔を浮かべうなずいている。
「応援してるから頑張りなよ」
「はい、ありがとうございます!」
「ありがとうを言うのは、こっちだよ」
朝子姉さんの前にも今はもう自立した愛光園のお姉さんがここでバイトしていたと聞いている。とすると「キミたち」というのは児童養護施設愛光園のことだ。店長の理解と励ましの言葉が私には素直に嬉しい。愛光園の後輩のためにも頑張ろうと決意させられる瞬間だった。
でも、正直言うと内心は複雑だ。いや、店長やコンビニに対してではなく、バイトをしなければならない境遇に対して。
授業が終わると走って桜坂を下って行く。その時、自分だけほかの生徒が決して行きたがらない異界に落ちてゆくような気がするのだ。お小遣いが欲しくてすすんでバイトをするのとはわけが違う。否応なく、自立のためにバイトするのだ。進学を考えるのなら100万円必要だと言われている。今のところ進学は考えていないが、自立するのにだってそのくらい必要かもしれない。3年後の生活のための金稼ぎだ。それは普通の高校生にとって異界にほかならない。
普通の高校生──。
そう。私が普通の家の子どもなら、仲良しの友達と同じ部活に入り、ほかのクラスの友達もでき、先輩もでき、楽しい高校生活を謳歌できたかもしれない。授業が終われば好きなスポーツに汗を流す。好きな楽器にさわれる。カップルで登下校する。だがそんな青春は私にはない。児童養護施設は18才になると自立しなければならないから。自立資金を蓄えなければならないから。
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