コンビニでバイト

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 教室を移動するたびにあちこちの教室をさり気なく覗いてみるのだが、「ザル王子」は見つからなかった。いや、春風のような人だったから、廊下ですれ違っても気づかなかっただけかもしれない。 「そんなに気になるんだったら、あのザルを頭にかぶって昇降口に立ってたら? 放課後よりは朝の登校時間がいいかも」  日曜日の朝、机の上に中学生の参考書を開いている朝子姉さんが言った。中高生用の一人一室の寮で一番整理されている部屋。窓から燦燦と初夏の日光が降り注ぐ。鴨居から鴨居へ渡した竿にかけた洗濯物から衣類リンスのいい香りが漂う。(朝子姉さんはなぜか屋上には洗濯物を干さない。)私は日曜の朝食後のお姉さんの部屋が大好きだ。 「そんな変な子がいたら間違いなく全校のうわさになるでしょ。あのザル王子だってあとで必ず返してくれって言ってたんだから、噂を聞いてきっと現れるわよ。やってごらんよ」  学校の昇降口でザルをかぶった自分の姿を想像する。とたんに、すすっていたレモンティーを吹き出してしまった。鼻から酸っぱい液体が垂れて、広げていたティーン向けの雑誌に落ちる。お姉さんが、「雑誌ぬらさないでよね、ほら」と、ティッシュの箱を差し出す。 「そんなことしたら、みんな私から引いていくって。アイツ危なそうだからって、近づいてこないわよ」 「そうか。百均で買えるんだから、そんなリスク犯したりしないか。彼だってヘンな女子、特にの女子にはに付きまとわれたくないだろうしね。平和主義者だとか言ってたじゃん。女子には興味がないとも」 「私……、ヘンな女じゃないし……」  口を尖らせると、すかさず長い手が伸びてきてくちびるをつかまれた。 「このかわいいアヒルのくちびる、なんとかせーよー」 「んー、んー……」  顔を左右に揺さぶるけど朝子姉さんは放してくれない。愛光園のみんなは、職員さんも含めて私のアヒル型くちびるが大好きだ。つかんで来るのはお姉さんと、もう一人、ゆきちゃんだけだけど。  
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