車中キス

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 ひょろりと背の高い男の子はいくら名前を訊いても教えてくれなかった。一番知りたいことを教えてくれない。意地悪な子だと思った。どうしてダメなのかって訊いたら、呪いをかけられるからだと言われた。「ヘンな子」と首をかしげたのを覚えている。 「キミの友達はきれいな浴衣を着ていた。よく笑ってとても愛そうがよかったなあ。かわいい部類に入るんだろうけど、どこにもいる女の子って感じで大して興味は湧かなかった」  佳穂ちゃんは確かにちょっと軽い子だった。男の子には特に愛想が良かった。中学に入ってから学期ごとに違うカレシとつきあってたみたいだけど。 「それに対してキミは学校の体操服のようなシャツとデニムのショートパンツ。友達とは正反対でオレが冗談を言っても、キュッとくちびるを結んでなかなか笑おうとしなかった。オレはキミの心を開こうと一生懸命だったんだ。何を言っても笑わなかったけど、オレがすくってやった金魚を指差して『金魚、好き?』って訊いたら、キミはうんうんと何度もうなずいて笑ったんだ。とても愛らしい笑顔だった。前歯が大きくて真っ白で、笑窪もかわいくて、笑い声がちょっと低めで艶があるんだ。それがオレの初恋の瞬間だった」  そうか、あの時私はTシャツだったっけ? 金魚すくいのことだけは克明に記憶に残っているけど、服装のことは忘却の彼方だった。少年とは結構いろいろなことを話したように記憶していた。ジュンくんが私の心を開こうと一生懸命話かけてくれたから、自分でもたくさん話したように錯覚していたのだろう。同じ体験でも人によって随分違う捕らえられ方がされているんだなと思った。  頬にキスした件は、彼の記憶ではどうなっているのだろう。 「あの時私、神社の階段で転びそうになって‥‥‥」 「そうそう、あの時オレがサキを抱きとめてやったんだっけ。あの時流行っていたドラマと全く同じ展開だったから、三人ですっごく盛り上がっちゃったよな!」 「それで私にキスしたんだよね、ジュンくん?」  そう言って目をのぞき込むと、彼は言葉を切って天井に目をやった。記憶を確かめるときの癖だ。 「‥‥‥してねえって、そんなこと」 「したよ。ここんとこ‥‥‥」そう言って私は頬を指差しジュンくんに見せた。「チューって音たててさあ」 「ばっか! それはあのドラマの中の話だろ⁈ キミの友達がキスしろって囃し立てたけど、オレそんな不良じゃねえし」 「そ、そうだよね。キスなんて‥‥‥しなかった、よ、ね‥‥‥ははは……」
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