疑い

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「なかっ‥‥‥、た‥‥‥」  肺の中に渦を巻いていた毒素が一気に口と鼻から噴き出た。  なかったのだ。ジュンくんと愛理にはそういう関係がなかったのだ。  こわばって冷たくなっていた頬に血が巡りだした。みるみる紅潮していくのがわかる。ジュンくんは純潔。私はジュンくんの唯一のオンナ。 「なかったの! そう。なかったのよ!」  目を上げると、愛理の頬を大粒の涙が伝っていた。サクランボのようにぷっくりしたくちびるがわなわなと震えだした。そして、決壊した。 「『叔母』なんだから、ジュンと恋愛できるわけないじゃん! でも、好きだった! ジュンのことが! 足りない頭を絞って一生懸命考えた結果が、『叔母』役を買って出ることだった。そうしたら、彼に抱いてもらえるじゃん!」 『教材』としてでもいい。つき合うことも結婚することもできないなら、せめて抱いてもらいたかったと愛理は言った。  中2の時からだという。自分がジュンくんの「叔母」だってことをアピールしだしたのが。これぞと思う友達を彼に紹介した。ジュンくんは学校でも人気があったから、紹介を望む女子は後を絶たなかった。そんな女子を愛理は次から次へと彼の紹介したのだった。  しかし、ジュンくんのお眼鏡に叶う女子はいなかった。さらに彼は、愛理が「叔母」役であることを知りながら、「教育官」としての義務を強要することもなかったという。  ──小6の時、牧ノ頭神社で出会った女のことが忘れられないんだ。その子を見つけて来てほしい。  とある日彼に言われたらしい。私の名前も知らされずに。  しかし愛理の目的はジュンくんの初恋の女の子を見つけることではなかった。自分が彼のそばにいたいがために「叔母」役を買って出たのではなかったか。だから、私を探すなんていう、身の破滅を招来する努力をしなかったのは当然のことだ。だから、私の名前と出身小学校を知りながら、それを愛理に教えなかったのは、彼女にとってはよかったのだ。私を見つけられない言い訳になったから。 「ジュンの心はね、小6の時から決まってたんだね。くやしいけど。サキだったんだよ。サキ以外の女の子は彼の頭にはなかったんだよ」  そして、あなたたちは童貞と処女だよ、と言った。初めてどうしなんだよ、と微笑んでくれた。目が潤み、頬がピクピク痙攣していて、それは真正面から見るに堪えない表情だったけど、微笑だった。愛理が私のために一生懸命作ってくれる微笑だった。  泣き虫の私は、ティーカップを両手で包んだまま、泣いていた。震えるカップからハーブティーが数滴こぼれ、脚を濡らした。それでも私は木偶(でく)の坊のようにその姿勢を維持し、幼子のように泣きじゃくっている。端から見たらなんてみっともない泣き方なんだろうと思う。  いいんだ。私はバカなんだからバカな泣き方しかできないんだ。愛理もこんなバカな私の惨めな泣き方をしっかり心に焼きつけてくれればいいと思う。  そして心の中で「アイリ、ごめんね」と何度も謝った。
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