長いもので貫かれる

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 どうやら最後の一本が終わったようだ。痛みの峠は過ぎ去ったらしい。(はり)に流れる電流が、私のつっぱった神経をピクピクピクピクとほぐしてくれる。全身が心地よく火照ってくるのを感じる。  仕切りの向こうの患者さんはお灸を使っているのだろうか。仏壇に供えるお線香に苦みを溶かしたような香りが漂ってくる。  桜坂の王子にもらった名刺には「サンライズ鍼灸院(しんきゅういん)」とあった。愛光園の職員さんが「ああ、ここね」と言って、すぐに電話し予約を取ってくれた。養護施設のお子さんなら無料で治療させていただきますとの厚意を受け、今私はここに横たわっているのだった。  しかしここは鍼灸院ではない。普通のマンションの一室。今日私を治療してくださっている先生はもう七十は過ぎているだろうか。豊かな白髪をオールバックにして白いワイシャツにえんじ色のネクタイ。その上に清潔な白衣。スラックスにもしっかり折り目が付いている。鍼灸師さんってみんなこんなに紳士なのだろうか。サンライズ鍼灸院のほうは息子さんに譲り、ご本人は自宅の一室で患者を診ているのだと説明してくれた。先生の腕を知った患者が、遠くからこんな田舎町まで電車を乗り継いで来ると聞いている。週末はボランティアで養護施設のご老人を中心に治療なさっているらしい。 「愛光園で、いま高校生……」 「はい。一年生です」 「自立のことを考えると心配な気持ちはわかるが、焦ってはいけない。キミの躰は疲れがたまると腰に来るようになっている。元々血行が悪いようだ。下手したら不妊にもなりかねない。アルバイトは自分の躰と相談してやりなさい。睡眠時間もしっかり取って」 「はい」  うつ伏せの姿勢で先生のお顔が拝見できないのが残念だ。治療前に脈を診ていただいた時、学識の深さと人間的な優しさが滲み出ているお顔を見つめてしまったのだった。 「私の顔に何かついているのかい」 「あ、すみません。そうじゃなくて……」  先生の静かなトーンに対し、私があまりにも慌ててしまったものだから、ほほほと声を出して笑っていた。笑顔に愛情といたわりが溢れていた。鍼を刺される前だったから一層優しく見えたのかもしれない。
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