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母のまなざし、そして運命の人。
夏休み前の最後の土曜日。
鍼灸治療を終え、リビング兼待合室で光枝さんの入れてくれた高麗人参茶を啜っていた。生薬の生臭さと苦さに顔をしかめた。でも、「からだにとてもいいのよ」と言って淹れてくれたミツエさんの厚意は無にできない。高価なお茶なのに。私は、ちびちびと啜っていた。
そこへ玄関ドアが開き誰かが入ってくる気配。治療を受けに来た患者さんだろう。それにしても呼び鈴も鳴らさずに入ってくるなんてずいぶん失礼な患者さんもあるものだと訝った。
「じいちゃん、頼むよ」
「おお、来たか。入ってこい」
そっか、お孫さんだ。高校一年生の。
診察室のドアが閉まり、中から老夫婦の嬉しそうな声がくぐもって聞こえる。玄関を入ってすぐ左側が診療室だから、その奥にある居室からは来訪者の姿は見えない。
治療は終わっているからすぐおいとましてもよかったのだが、せっかくお孫さんがいらっしゃったのだ。一言挨拶をしておこう。
しかし……、どうだろう、私のかっこう。ノースリーブにデニムのショートパンツ。全部脱いで鍼さされるんだからすぐ着脱できるものにしようとしたのがこのかっこう。尊敬する鍼灸師さんのお孫さんにお会いするのにはあまりにもラフすぎるかな。
20分ほどして扉の開く音が聞こえた。お孫さんの診療が終わったようだ。どたどたと足音が近づいてくる。
湯飲み茶わんをテーブルに置き、ソファーから立ち上がる。もう腰の痛みもなくすっと立ち上がれた。たしかに、おじいさん鍼灸師の腕はすばらしいんだ。すくっと背を伸ばし手を前に組んでお孫さんの現れるのを待つ。
「おっす、美浜さん!」
「え? ジュ、ジュンくん?」素っ頓狂な声が漏れた。「どうして……、どうしてここに?」
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