母のまなざし、そして運命の人。

4/15

121人が本棚に入れています
本棚に追加
/266ページ
 腕組みして彼にふくれ顔を突き出す。プク顔で「ちょっとぉ」と拳で彼の太腿をトントン叩く。くちびるを突き出しムー顔に変身。休み時間に真純と美丘にやっているように。相手が朝子姉さんなら、すかさずアヒル(ぐち)をつかまれるところだ。真純と美丘にも何度もつかまれた。まさか彼はそんなことはしないだろうとたかを括っていた、が……。 「んー、んー……」  がっしり掴まれた。「放してヨ」が「んー」となり、「恥ずかしいったら」も「んー」となる。「クワックワッ」としか鳴かないアヒルも本当はいろいろなことを言いたいんだろうなと同情した。私は主人に無理やりリードを引っ張られる小犬のように彼の太腿に手をついてふんばる。さもないと彼の膝元に倒れこみそうだから。行動がすべて動物的になっている。 「んーん、んーん……」  彼の指の力が強くてくちびるがどうしても抜けない。目の前のにやけ顔がなんて憎たらしいんだろう。 「ブラジャーの色はと……」  くちびるを掴まれているせいで前かがみになり、カットソーの緩い襟ぐりから胸がのぞかれている。彼の太腿に両手をついて体を支えているから隠すすべがない。  早くくちびるを抜かなければ。だって、もう二年越しで使ってるブラだ。ストラップが緩くなっているし、カップも浮きやすくなっている。でも高校で超かわいいと人気の美浜咲は気品と優美さを保ちたい。ブラジャーは見せるわけにはいかないのだ。 「今日は白か‥‥‥。カップの縁取りはコスモスの刺繍‥‥‥」  克明に見られている。彼の熱い視線がカップの中にまで侵入してきそうだ。 「んー!」 (翻訳:「放してったら!」) 「んぐんんー!」 (翻訳:「乳首が見えちゃうから!」)  幸いなことに彼は人でなしではなかった。 「ごめん、ごめん。あまりにもキミのアヒルのくちびるがかわいくてさあ……。痛かったらゴメン。これでも俺の愛情表現だったりするんだ」  解放されたくちびるをハンカチで拭う。恥ずかしくてちょっとだけ涙が出た。額越しに彼を睨みつけてやった。乳首、見えたでしょ? 見えたよね。ごちそうさまって顔してるじゃない?  眼圧に恨みを込めながらも、心の中ではけっこう尻尾を振ってたりする。だって、彼、「愛情表現」なんて言わなかった? 言った、言った。 私の耳で確かに聞いた……。くちびるを掴まれ乳首をのぞかれた屈辱と甘い言葉がささやかれた喜びで心は大カオスだ。  それから私たちはいろいろなことを話した。彼は口数の少ないイメージがあった。桜坂ではじめて会ったときだって、すっと視線をそらせてしまったし、体育館前で再会したときだって、名前もクラスも教えてくれずに不愛想に階段を昇って行こうとしたし。
/266ページ

最初のコメントを投稿しよう!

121人が本棚に入れています
本棚に追加