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ザルの効果は覿面だった。私たちはあれから数え切れないほどの花びらを集めることに成功した。
「でも、あの男の子、どうしてザルなんて持ってたんだろうね? それも二つよ」
桜の花びらを散らした厚紙に当て布を被せながら、着古したルームウエア姿のお姉さんがぼそりとつぶやいた。
児童養護施設愛光園のリビングルームの一画。「リビング」とカタカナ語で呼びながらも、実際は薄汚れた畳敷きの部屋だ。職員さんが一人やっと入れる狭小な台所つき。部屋の一画でお人形さんをおんぶしたゆきちゃんがたっくんと絵本を重ねお城を作っている。そこから対角線になる隅で座卓を広げ、私と朝子姉さんは栞づくりに取り組んでいる。畳の上には厚紙やハサミやらが散らかっている。
「ほんと。ふつうザルなんて持ち歩かないよね」
それも男子なのだ。目の前に重ねられた赤と青のそれに目をやり首を捻った。
当て布の上にアイロンを押し付けると、やがて青っぽい香りが立ち登ってくる。春の濃縮エキスを胸いっぱいに吸い込む。
「名前、訊いておけばよかった」
くちびるから無意識にひとりごとが転がり落ちる。
「え? あの生意気な男子の?」
あ、と慌てて口に手を当てるが時すでに遅し。聞かれてしまった、ひとりごとを。顔が熱くなってくるのをごまかすために、アイロンに体重を乗せぎゅっと押しつける。
「ふふふ……。どうせ、『牧村』か『本村』か『大類』でしょ? うちのクラスも『牧村』と『本村』が3人ずつ、『大類』さんは2人」
大きな湖の湖畔に位置する私たちの田舎町は昔から移動人口が少なかったせいか、同姓が多い。町の北部から山間部にかけては『牧村』、町の中心から南部にかけては『本村』が勢力を誇っている。『大類』も35人クラスに必ず1人か2人はいる。どの姓も元をたどればきっと一人の先祖にたどり着くのだろう。親族同士は結束が強いと聞いている。
「いやだ、そんな田舎っぽい名前。もっと高貴で気品があるのがいいよ。そうだなあ‥‥‥、『小早川』とかさあ『東雲』とか……。あ、『朝比奈』もいいかも……。へへへ……」
お姉さんに借りて読むレディコミで登場したイケメンの苗字を連ねる。
「ムリムリ。こんな片田舎にそんな高貴なお家なんてあるはずないじゃん。みんな農民か木こりか漁師だったんだから」
お姉さんは何にでも詳しい。教科でも郷土の知識でも。そして知識は少女っぽいロマンを真正面から否定する。
「せめて下の名前がカッコよければいいのに……」
「たとえば?」
「たとえば……、そうだなあ……」
栞にラミネートフィルムを被せながら考える。考えるというより思い出す。レディコミに登場するイケてる男子の名前を。
「『ジュン』とか『コウ』とか『ショウ』とか……。サラッと流れるような名前……」
目を上げるとお姉さんのいたずらっぽい視線とぶつかった。
「ほらほら。サキには『初恋』と『王子様』が似合う……」
「初恋なんかじゃないったら!」
怒っているのに、お姉さんの顔は緩むだけ緩んでいる。そう、お姉さんは私のムー顔が大好きなのだ。
「そうムキになるところが怪しいなあ……」
お姉さんの指先でほっぺたをツンツン突かれる。
「不感症呼ばわりされた男なんかに誰が……」
くちびるをゆがめ、憎まれ顔でチェッと舌を鳴らす。
「サキの初恋かあ……」
朝子姉さんが遠い目をした。
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