母のまなざし、そして運命の人。

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 流れというのは細い道と同じだ。分かれ道に差し掛かるたびに右に行くか左に行くか決めればいい。いや、決めるまでもないかもしれない。流れに乗って自分でも知らないうちにどちらかに押し流されていく。そこには葛藤も矛盾も緊張も責任もない。いいじゃないか、流されていけば。どの方向へどう流されても「人生」であることには変わりない。流されることで神さまの意志がわかることもあるだろう。人の選択よりも神さまの意志の方が絶対に正しい。  私を捨てた両親は何もかも自分で決めなくてはいられない、我の強い人だったのかもしれない。神さまの大河に流されることを不本意に思ったのかもしれない。だから、自分で道を選択した。その結果、複雑な事情が発生して子どもを捨てざるを得なくなった。  親はそうだったかもしれない。親は反逆者だったかもしれない。自意識が強すぎたのかもしれない。それで不幸になったのかもしれない。だが、それは親の人生。親の道。親の結果だ。私には関係ない。なぜなら、別の命だから。別の人格だから。  赤ん坊は例外なく大河の中に産み落とされる。その子にふさわしい出会いが与えられ、使命が与えられる。好きな人、好きな仕事だから、それに従うことが幸福への道だ。出会いを大切にし、与えられた仕事を真心を込めて遂行すればよいのだ。  捨てられたことを私は恨まない。親がわたしを捨てたのは親の人生の中で起きたこと。私の人生には関係がない。生まれた時から私には私の河がある。私の人生に与えられたことは、私の好きな人との出会い。私の尊敬する人との出会い。そしてそのうち、好きな仕事との出会いがあるだろう。それはまるごと私の人生だ。親には関係ない。この世に生まれたことだけを感謝すればいいのだ。  親のなした悪に私は関係がない。  私が流されていく先にはきっと幸せがあるはず。だって、悪人も悪意もないんだから。今起こっていることも、これから起こることもすべては善なんだ。  そう信じよう!
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