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不思議だった。色紙に花びらを散らしていると、その向こうにあの男子の笑顔が浮かんでくるのだった。「王子様、かな?」とちょっとだけ思った。でも、「初恋」というものにありそうな胸のときめきもなかったし、キュンと絞られるような感覚も張り裂けるような痛みもなかった。でも、なんとなく会いたい──というのが正直なところ。
「サキおねえちゃん、はちゅこいなのぉ?」
絵本を重ねる遊びのに飽きたのか、ゆきちゃんが私の背中に抱きついてきた。幼児の手はしっとりと潤い、幼稚園の年中さんなのにまだミルクの匂いがする。ハサミや定規を幼児の手の届かないところに押しやる。
「ゆきちゃん、初恋、知ってるの?」
振り向くと幼児のつぶらな瞳が5センチ先にあった。ぷっくりとしておいしそうなくちびる。なんだか、とても幸せな気分になって来る。この子の躰が私の中にプニュプニュって溶け込んできたらいいのに、と思う。
「うん、しってるよ」私のうなじに頬をすり寄せて来る。ぺちょっとして気持ちいい。「おひめしゃまのことだよ」
私も朝子姉さんもほっこりした視線を交わす。いいなあと思う。暖かいなあと思う。この子が本当の妹だったらどんなに幸せだろう。
──こんなかわいい子がどうして両親と住めないんだろう‥‥‥。
そう思うと、鼻の奥がじんじんしてきて、慌てて言葉を押し出す。
「そ、そうだね。でも、私はね、お姫様じゃないから、『はつこい』にはなれないのよ」
「へえー、そうなんだ。しらなかった」
ゆきちゃんは私の背中からポテンと飛び降りると、「はちゅこい、はちゅこい」とつぶやきながら、またたっくんと遊び始めた。
そういえば、私がこぼした花びらが彼の制服にくっついていた。あれをくっつけたまま家に帰ったのだろうか。今度会った時もそれがついていたら、どんなにいいだろう。その花びら一枚で恋に落ちるかも。そしたらゆきちゃんの言うとおり「おひめしゃま」になれるだろうか。
──春風のようだったな……。
そう。風には形がない。人に爽やかな印象だけ残して走り去っていくものなのだ。
──いやいや……、
と、貴公子の目がトローンと垂れ、鼻の下がダラーンと長くなり、顔じゅう脂でギトギトとテカリだし、スケベおやじに豹変した瞬間が脳裏をよぎる。そう、春一番は女の子のセーラー服の下に許可もなく入り込んで来るし、ミニスカートをまくって行ったりと、イヤらしいいたずらもするのもなのだ。
──あなたの正体はどっちなの?
くちびるを突き出し、プクっと頬をふくらました。脇に置いてあった赤いザルを取り頭にかぶったら、カポッと音がした。
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