手の届かない棚

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

手の届かない棚

「なあ、恭子(きょうこ)。そろそろ出かけないか?」  あなたは、なんだか妙にソワソワした声。  分かるのよ? わたし。ひとより耳はビンカンなほうだから。 「カタヅケなんて、明日でいいだろ? 引っ越しは来週なんだし」  そう言いながら、わたしの足下の踏み台を両手で支えてくれる。  ヒジまで腕まくりしたワイシャツのソデ先に伸びる、筋肉質のたくましい腕。フシクレだった大きな手。 「せっかくオロシタテのワンピースがさぁ、ホコリまみれになっちゃうじゃん? (たな)の上は俺があとで掃除するから、ほら、気をつけて降りて……」 「分かったから、もうっ! いい加減にしてよ、おせっかい」 「そんな、怒らなくたって」  もとから下がり気味の目尻をいっそう下げて、あなた。叱られたラブラドール・レトリバー()みたい。  思わず口元がゆるみそうになるのをこらえて、わたし、言うの。 「あなたが掃除のジャマをするから……」 「……てかさ。わざわざ(せま)い部屋に引っ越して1人暮らしなんて……ムダじゃない? 俺と一緒に暮らせばいいのに……」  モゴモゴ口ごもりながら、あなたは、踏み台から飛び降りようとするわたしの腰を抱き支えようとした。 「いいから、離してってば」  わたしは、手にしてた雑巾(ぞうきん)をふり回して。あなたの手をせいいっぱいジャケンに追い払う。  けど、あなたって、全然めげない。  スーパーマーケットの支店長を任されてるから。理不尽(りふじん)なクレーマーには慣れっコなんだよね?  同期はほとんど脱落して、アラサーで役職持ちは県内には自分1人しかいないって。寂しそうな反面ちょっと得意げな、あなたのクチグセ。 「なんだか、ごきげんナナメだねぇ、お姫さま?」 「その呼び方、……やめて!」  わたしは、乾きかけの雑巾(ぞうきん)を投げつけた。 「おー、怖っ!」  と、あなたは、軽くサッと身をかわすと、黒いスラックスのポケットから革のキーケースを引っぱり出して、 「わかったわかった。とにかく、午後から雨が降るかもって、さっきテレビで言ってたからさぁ。早く行ってすませようよ、墓参り。俺、車まわしてくるから」 「…………」  わたしは、ヤツアタリまぎれに思い切って、踏み台からイッキに飛び降りてみせた。  慣れないストッキングをはいた足の裏が、フローリングの床に滑って、内心ちょっとヒヤッとしたけど。  あなたは、あからさまにギョッとした。なんなら、人好きのする小麦色のサワヤカな顔は、血の気をなくして真っ青になる。 「ムチャすんなよ!」 「平気だってば」 「……なんか、いちいちツッかかるなぁ、今日は」 「いいから放っといて! あなたは先に1人で行って。お花とかお供えして待っててよ。わたし、後から電車で行くから」 「は? なにも、そんなムダなこと……!」 「ムダじゃないの! わたし、1人で電車に乗りたいの。1人で、お墓まで行きたいの」  わたしに"光"をくれた、大切な人のお墓参りなんだから……だからこそ……! 「はいはい。分かりましたよ」  あなたは、ションボリと肩をすくめて。 「気をつけて、ね? なんかあったら必ず電話して、すぐに……」 「わかったから! 早く行ってよ」 「あー、はいはい。じゃあ、お先に」  広い背中をちぢめて、あなたはソソクサと廊下に向かった。  あなたは、すごく優しくて、ステキな人。  おっきなクマのヌイグルミみたい。一緒にいるだけで、心の底から安心できる。  ずっと、その腕の中に甘えてたくなる。支えていてほしくなる。  だからこそ、わたし、あなたから離れなきゃいけない……。  誰もいなくなったリビングを、わたしは見わたす。  両手で抱えられる大きさのダンボール箱が5つばかり、部屋のスミに雑然(ざつぜん)と並んでる。フローリングの6畳間。  "わたしだけの荷物"なんて、タカが知れてる。カタヅケるものなんて、ほとんどない。  ――()()()()と、……2人で暮らしてきた部屋だもの。  すぐに、玄関のドアが閉じる音と、オートロックのかかる音が、続けざまに耳に届いた。  それをキッカケに、わたしは、もういちど踏み台にのぼってみる。  踏み台を使わなきゃ手が届かないような棚の上に、"わたしの荷物"なんて、置いてあるわけないのに。  でも、なんだか、……ヤケに気になる。  部屋のコーナー部分に、30センチくらいの奥行きの三角形の薄い板を留め付けただけ。見るからに簡素で貧弱(ひんじゃく)な棚。  ――あのヒトの、お手製のDIY?  ――()()()()()()()()()()()()()に、なんで、こんな棚が必要だったの?  その理由は、きっと、棚の奥にポツンと1つだけ置かれてる箱の中にあるはず。  あまり厚みのない紙製の小さな化粧箱(けしょうばこ)。ハンカチなんかをラッピングするのに使うようなサイズ感だ。  ほんのかすかに、ホコリが積もってる。  わたしは、それを手に取り、踏み台から降りた。今度は、ちゃんと段差のステップを踏んで。慎重に着地した。  箱の中から出てきたのは、ぞんざいに折りたたまれた白い便箋(びんせん)が1枚。  開けば、紙面いっぱいに、ボールペンでビッシリ手紙が書いてある。  20年ぶりに見る彼の字は、筆圧(ひつあつ)がつよくて、とても大きくて。子供の頃のかすかな記憶とあまり変わらず、のびのびとしていた。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!