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98_美馬_仮面舞踏会の夜
リンク中央。
美馬はポジションについて、両手を顔の前に翳して構えを作った。
青い空間に、黄色いスポットライトが美馬を照らしだすと、会場が静まり返り、ワルツが流れ始めたのだった。
夏の終わり──
一夜限りの仮面舞踏会が開幕した。
主人公は、美馬自身だ。
彼は気づくと仮面舞踏会の片隅にいた。ほとんど地獄の辺境で目覚めたダンテの気分でだ。
仮面をつけた人々が集う華やかな舞踏会ホールを見回して、自分の居場所ではないと感じる。
ワルツを踊り戯れるカップルの間で、ぽつんと美馬だけ取り残されている。得体の知れない不安の波に飲まれている。
同じメロディが繰り返されるなか、美馬は滑りを加速していく。
ポンと4回転ルッツが弾む。
わっと歓声が上がる。
シットスピン、足換えの逆回転スピン。踊りながら舞踏会ホールを突っ切っていく。
彷徨う恋心を追いかけ、焦り、苛立ちが爆発する。反時計回りでリンクを回り、ここで最初の大技、4回転トゥループからの4回転サルコウのコンビネーションジャンプ。
わぁっと大歓声が上がる。
なんの、まだまだ!
舞踏会で、美馬は一人の男と出会う。彷徨う心の中で異彩を放つその存在に、美馬は過去の苦しみと見つけた居場所に、気持ちを揺さぶられる。
少年時代の幸せだった母との生活、己の性指向に悩み、苦しみ、打ち明けられずにいた恋。
すれ違い、傷つけ合いながら、惹かれ、求め合う。
明るい曲想になって、幸せな日々を送る楽しいステップ。気持ちも弾んで、動きも軽やかだ。
後半15秒、トリプルアクセル─4回転ループのコンビネーションを鮮やかに決めると、シークエンスからの3回転フリップ。
会場の興奮が舞踏会を盛り上げていく。
滑りながら美馬は、伊織の視線を感じた。伊織への溢れる想いと記憶が怒濤のように押し寄せてきた。
自由にリンクを踊る美馬を、あの頃と同じように、真剣な眼差しで伊織が見てくる。
身体が軽い。
羽根が生えたように舞い、回り、流れていく。動きの一つ一つが、美しくエレガントなポーズの連続で流れていくのが分かる。
自分のせいで、同性同士の関係に引き摺り込んだ負い目は今もある。
だが、愛する気持ちだけは誰にも負けはしない。
仮面をつけていようと、どこにいようと、おまえの姿は必ず見つける。
おまえもオレを見つけてくれ。
さあ、舞台にあがれ、一緒に踊ろう。
これは、おまえとオレの仮面舞踏会だ。
圧倒的な技巧で繋ぐストレートライン。三連続スピン。
複数のステップでリンクを縦横無尽に踊り、ツイズルしながら、視線は伊織の姿に釘付けだ。リンクサイドに突っ立って、じっと美馬を見据えてくる。
……いつも、そうだった。
終わるまで息も吐けない、瞬きもできないという顔で、美馬の演技を一瞬たりとも見逃さないように見つめている。あんなふうに見ていたら、疲れるだろうに。
伊織と抱き合っているさなかのような悦楽の波が押し寄せて、心臓は早鐘を打ち、身体は疼きっぱなしだ。
短い助走から踏み切り、跳び上がった瞬間華麗なクワドアクセルが舞った。
着氷するまでの一秒以下の瞬間は、自分の中でスローモーションのように流れた。
両手で頭を抱えてステップ、会場を埋め尽くす歓声に押されて、壮烈に、神々しいジャンプが続く。
観客席は総立ちになっていた。
名取の解説はなかった。
静かに、最後まで美馬を見守るようだ。
何度でも、恋の始まりを告げるワルツ。
スタミナが切れる寸前で、伊織の好きな技に挑む。
くそっ。きついぞ!!!!
膝を折り畳んで上半身もギリギリまで倒して内側に弧を描きながら、片手で氷を滑る。そこから体勢を戻してダブルアクセル。
よし!
イヤ!
続くアップライトのスピンができない。
だったら……流れに乗って両膝をついて氷を滑り、背中を弓なりに倒していく。
虚空に伸ばした両手をしなやかに反らし、両手の甲を氷上に置いて、フィニッシュ。
伊織は気づくはずだ。伊織が気に入っている体位の一つだと。
オレたちはバカだから、いつ何時でも二人だけの世界に浸りたいんだ。
何度も湧く歓声に応じて、ゆっくり立ち上がった美馬が気取って礼をする。
さすがに息が上がっていた。お辞儀さえきつい。
一輪花やプレゼントがリンクを埋め尽くす勢いで投げ込まれていく。
美馬は前後左右、360度取り囲む観客のために向きを変え、お辞儀し、両手を振って歓声応えていく。
リンクサイドからは観客の手がたくさん伸ばされていた。
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