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10_美馬_輝いた日々は戻らない
「おまえと一緒にいるのはストレスなんだよ」
思い切って訴えた。
伊織を上目遣いすると、彼は全く動じた様子はない。
「すぐに慣れますよ。一緒に風呂に入った仲じゃないですか」
いや、それは、だからな!
二度と近づくな、と伊織に言われる前の、ガラスの十代の話だ。
内心叫びたいのをグッと堪える。
風呂だって、別にロマンスでも何でもない。
台風のときに、美馬家の風呂が故障したことがあり、取り替えるまで伊織に風呂を借りたことがあったのだ。伊織は母方の祖父母の千堂家に住んでいたが、それはもう豪邸だった。
風呂なんて総檜風呂で、最高級旅館なみのあつらえだった。あまりに優雅なもので、美馬は内心、ずっと通いたいほどだった。
一方伊織はシャワー派で、美馬がのんびり浸かっている合間にやってきて、ガラス張りのシャワーブースに入っていく。
時間をずらせというのに、高校生の生活時間は似通ったものだし、美馬にあわせて家主の孫が我慢するのもおかしいというので、しょうがねえと受け入れた。
別に男同士だから悪くないが、据え膳食わぬは男の恥、もとい、美馬には生殺し状態だったことは間違いない。
おまけに一人なら湯船に浸からない伊織が、「先輩に付き合います」と言って、隣に入ってくるから、嬉し我慢の日々でもあった。
伊織のやつ。やっぱりあのサイアクな日のことを忘れたのだろうか。
いや、違うか。
なかったことにしたいのだろう。
今の自分にどれほどの利用価値があるかは知らないが、振り付けをさせたいなら一つ二つやれば満足だろう。
居住空間が落ち着き、施設と周辺のランニングコースを確認した後、再び部屋に戻ると西日が射す時間だった。
美馬は伸びかけの髪を掻きやりながらベランダに出た。
眺望だけは素晴らしいので、すっかり気に入っている。橙色のグラデーションが絶景だ。ワインは禁止されたので、手にしているのは白湯を入れたボトルだ。飲み物は常温かホット限定になってしまった。代謝が下がるためカフェインも禁止。味気ないと沈んでいると、オフィスを整えた伊織が現れた。
「疲れましたか?」
近い!
伊織が近すぎる。
美馬はパーソナルスペースをきっちり取る方だが、伊織はあっさりと侵入してくる。呟きが聞き取れるほど近いところに立つ。
さっき一度「近いよ」と指摘したら、伊織はちょっと片眉を上げて、「そうですか」と首を傾げた。無意識なのだ。高校時代もそうだった。今は大人になった低く艶めいた声音が、とても心地がいい。それが困る!
「疲れてなかったが、おまえが来たから疲れた」
「口が悪いですね」
「おまえのせいだろ。なんでここまでするのか理解に苦しむ。面白がってんのか?」
「そう見えますか」
伊織が苦笑する。
ほら、それなそれ!
妙に大人びて、いやもう大人なんだが、そんな笑い方をされると、やはり年月の流れを感じる。もう高校生ではないのだと思い知る。
「オリンピックで金メダルを取るぞ」と美馬が言えば、「信じてますよ」と伊織が応える。毎日が輝いていたあの日々はもう戻らない。
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