11_美馬_デブデブいうな!

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11_美馬_デブデブいうな!

「オレはどうせ、花嫁に逃げられた花婿だからな。太ったのが許せなかったんだろうな。おまえ、式場の騒動知ってるんだろ?」 「あの女がドレスをたくし上げて走っていくところは」 「は。女って分からねぇな。プロポーズに二つ返事でOKだったんだぞ」 「女のことはどうでもいいんですよ!」  伊織がむっとしたようにタバコを咥えた。  ん?  潔癖な伊織がタバコ?  美馬は驚いて思わずガン見した。  伊織がふと手を止める。 「嫌いですよね?」 「いいけど、おまえ、今どき経営者がタバコなんて、時流に逆らってるぞ」 「吸うのは、ずいぶん久しぶりです」 「でも昔は吸ってたんだろ。それに持ち歩いてるし」 「反抗期的な理由で吸ったことはあります」  そういえば、伊織は高校の時少しグレていた。だから東京の実家を出て、品のよいお坊ちゃん学校ではなく、名古屋に来て伊織家の隣人になったのだ。  反抗期でタバコって、昭和か! 「タバコは急に買ったんです。吸いたくなりそうな気がして」  なんだそら。  まあ、8年まともに話していない相手のことだ。  実のところ、少年ではなくなった伊織のことで、美馬にわかることはないのかもしれない。  伊織がライターを擦る。  が、風に揺られて火が定まらない。  しょうがねえな。  美馬は手で囲ってやった。  それなのに、美馬を見つめる伊織の表情が複雑そうだ。 「なんだよ?」 「その姿はあんまりです」 「いい加減しつこいな」 「先輩がデブになるなんて、ありえないからですよ」 「デブデブいうな」  美馬は溜息が出た。 「子どもたちからは、クマさんみたいで可愛いって言われるんだぞ」 「ガキでも世辞くらい言いますよ」 「おまえなあ」 「俺は、先輩の美しい姿しか記憶していなかったんですよ。それを粉砕しやがって」  美馬はいくらか面食らった。 「おまえ、柄が悪くなったんじゃない?」 「社会にもまれてますから、上品ではいられませんよ」 「へぇ、御曹司でも苦労してんだな」  伊織は斜めに煙を吐き出す。形のいい耳にピアスが二個。左だけにつけるのは高校時代と同じだ。どの角度から見ても、様になる、いい男だ。 「俺、怒ってんですよ。俺が唯一惚れた男なんですから、カッコイイままでいてください」  え、今惚れた男って言ったか?   言ったよな?  現在形なのか?  いやいや、まさかな。言葉のアヤだ。惚れてた……ってか?  ははは、ねえな。  ねえ。  オレの耳が、そう聞きたがってるだけだな。  美馬が一人焦っていると、煙が流れ、伊織は眼を細めさせた。 「野郎に好かれるなんて、男冥利に尽きませんか」 「あ……ああ、そう」  そういう意味か、と美馬は笑ってごまかした。  恋愛感情があるわけではない。当たり前だ。伊織はノンケだ。しかもゲイが嫌いだ。だから美馬の性癖がどうであれ、間違いは決して起こらない。  だが、美馬が別のストレスに悩まされることだけは確定だ。心と胃袋のオアシス、アイスクリームを取り上げられたら何に逃避すりゃいい?
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