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2_美馬_花嫁に逃げられた花婿
美馬遊人はオブジェの陰で足を止めると、膝を抱えた。息切れして、頭が真っ白になっていた。
花嫁に逃げられたことは、この際どうでもいい。
あいつ……!!!!
あいつが、いた!
いたよな!?
さっき見かけたのは伊織惣一だ。
昔はなかったスチールの眼鏡のせいで、すぐに気づかなかったが、間違いない。
すらりとした背丈は日本人にしては高い182センチ。
バランスの取れた長くしなやかな四肢。明瞭な目鼻立ちに繊細な輪郭、切れ長な二重、細い鼻梁、肉感的だが品のある口許。それらはすべて、明晰な頭脳と裏打ちされた自信の漲りを感じさせる。
少し癖のある暗褐色の髪はざっくり手ぐしで流したような感じだが、洗練されたヘアスタイルだ。
モデルっぽいが、ビジネスライクな印象でもある。
額に幾筋が落ちているのが妙な色気を醸し出して、無駄に威圧感を漂わせたあんな美丈夫は、滅多にお目にかかれる人種ではない。
伊織は本物のセレブでSNSは一切使っていない。
限られた上流社会で生きている男だ。
世界のIORIグループ本社創業一族会長孫で、自身も大学時代に自ら会社を立ち上げて成功している一方、IORIグループ子会社の社長にも就任した。若き経営者だ。
なぜこんなところに伊織がいるんだ!?
最後に彼と言葉をかわしたのは8年前のことだ。
美馬は高校3年生で、伊織は一つ下の2年生だった。
美馬は2月生まれで、伊織は4月生まれ。
生年は2ヶ月しか違わなかったが、彼は美馬のことを先輩と慕ってくれていた。美馬の性癖を知るまでは。
──二度と俺に近づくな。
そう言われたあの日から、自分からは一度も近づいていない。
ただ……
フィギュアスケーターとして、IORIスケートリンクのイベントに出ることがあり、伊織とニアミスをしたことはある。
何度もあった。
そのつど鉢合わせしないよう神経を使ったのは美馬だった。伊織を見かけると身を翻して避けたし、彼が現れると情報を掴めば時間をずらした。
それなのに伊織は、美馬の努力をあざ笑うかのように、フィギュアスケート競技のスポンサーの御曹司として、頻繁に大会に顔を出した。
あいつが言ったのに。
二度と自分に近づくなと。
そのことを忘れて、人の結婚式に何しに来たのか。
笑いに来たのか?
オレの変わり果てた姿を笑うために、からかいに来たのか?
帰れ、帰れよ伊織!
おまえの方こそ、オレの前に現れるな!!
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