5_伊織_1ヶ月で痩せろ!

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5_伊織_1ヶ月で痩せろ!

「挨拶もなしですか」  我慢しきれずに、伊織が口を開く。美馬の肩先がビクッとした。  横顔が間近にあると、左目に泣きぼくろが見える。昔はそこに視線がいってしまって、妙な気分になったものだ。 「そんなに身構えないでください」 「このリンクを解体して、マンションか商業施設にするんだろ? 数少ないリンクがまた失われる。嘆かないスケーターはいない」 「リンクを残したいですか」 「残す気があるのか?」  美馬がやっと伊織に顔を向けた。  まん丸の顔……。ここまで劣化できるものなのだろうか。  愛嬌はあるが、これがあの凄絶美貌の美馬遊人だとはとうてい信じられない。  伊織は急に意地悪したくなった。リンクを潰す気はなかったが、なぜか玲花も美馬も取り壊されると思っている。だったらそう思わせておこう。 「残してもいいですよ。先輩次第ですが」  美馬は眉根を寄せた。 「オレ次第とは? 誰かの振り付けをしろという話か?」 「それだけでは足りません」 「足りない?」 「チェリーSCの累積赤字は億を超えてます。先輩の振付に、それほどの価値があるんですか」  嘲るような伊織の口調に、美馬がむっとした。 「先輩にはクラブの広報塔になってもらう」  伊織は社長として話を始めた。 「クラブのてこ入れと存続のために、根本的な改革が必要です。まず先輩のその見栄え」 「見栄え?」  伊織はもう我慢ならなかった。 「その顔と体型! 1ヶ月で元に戻せ。振付師として競技会デビューするのに、絵面がひどすぎる」 「は、は、は」  美馬は馬鹿にしたように笑った。 「元に戻せって、振付師に見栄えなんか関係ないだろう」 「俺が依頼しようとしているのは、真木准です。知ってますよね?」 「ん、ああ、去年のジュニアチャンプだったか」 「2年前のチャンプです。今18歳。去年グランプリシリーズのアメリカ大会で金。足首の故障もあり、今年は身体作りからやり直しています。来年のオリンピックに照準を合わせて」  ふぅん、と美馬は鈍い反応で返した。 「世界トップクラスのスケーターの振付師がデブで! どうやってプログラムを作り上げるっていうんですか。先輩だって、振付師とマンツーマンだったでしょうが」 「そりゃ……まあ、多少は痩せないとだが」  美馬の声が小さくなる。  太りすぎの自覚があるなら救いはある。  ここしばらく、SNSでは美馬遊人が花嫁に逃げられた話題で賑わっていたが、その大半が、劣化した美馬の姿に衝撃が走ってのことだった。  あれは同姓同名だと真っ向から否定するファンのスレッドが立ち、リンク周辺はファンが写真を撮ろうと待ち構えて、伊織が裏から手を回して警備員を増強したので、ようやく平穏が戻ったところなのだ。  美馬はデブだの劣化だの酷いことを書かれても、全く気にしていないようだ。  その感覚が、伊織には分からない。  昔の先輩の美意識はどこにいった! 「伊織、冷静に考えろ。オレは、最近の競技に疎い」 「最近て、アンタ2年前まで競技に出ていたでしょうが!」   伊織は思わずアンタ呼ばわりで突っ込んだ。 「シングルは、離れて7年だ」  もうそんなになるのか。  アイスダンスとシングルでは、別物だ。 「それでも先輩は、あの有名な振付師、アンディ・フェネールの門下生です」 「たったの1年で門下生とは言えない」 「充分ですよ。それに先輩は、現役時代自分で振付をしていました。先輩に振付を依頼したがっている選手は、世界中にいる。なのに先輩は断っている。何が問題なんですか?」  美馬がかすかに頬を歪めさせた。 「オレのこと、よく調べてるんだな」 「真木の振り付けを頼むんですから、当然ちゃんと調べます」  美馬は目を逸らした。
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