7_美馬_紐パンなんて誰がはくか!

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7_美馬_紐パンなんて誰がはくか!

 伊織と玲花の不毛な会話は、美馬の耳には届かなかった。  ギャグにしかならないウェディング失敗の直後に、伊織の姿を見たときからいやな予感はしていたのだ。伊織の方が自分に二度と近づくなと言ったのに。真木准の振付を断ったとたん、こんな形で現れやがった。坊ちゃんのやることは庶民の想像を軽く超えていく。  誰かドッキリだと言ってくれ。  伊織の傍らにいるだけで胸が苦しい。  伊織の香水が強いのか?   イランイランに近い香りだが、清涼感もあり、ベルガモットもあるか。上品とは言い難い官能を撒き散らしている。高校生の少年にはなかった大人の本物の色気だ。  この伊織と一緒に暮らすだと?  伊織はやっぱり、あの日のことを忘れているに違いない。  近づくなと言っておきながら、どうして一緒に暮らす条件など組み込んだのか。  8年という長い年月が風化させてしまったのか?  美馬がゲイだと知って、激しく拒絶したことを。     その日のうちに、美馬は健康診断を受け、専属のトレーナーによって、ダイエットプログラムが用意された。  体力作りも始まるが、問題はトレーニングの間じゅう、伊織がアシスタントとして密着することだ。  サイアクだな! 「おまえ、会社はどうすんだ?」  美馬が訊ねると、伊織は涼しい顔で言ったものだ。 「PCさえあれば会議も参加できますから。俺はいつでもアンタの目の届くところに、必ずいます。俺がやむを得ず出かけるときは、スマホにライブ動画が届きますから。サボれませんよ」 「けっ。つまりおまえの目の届くところに、オレが置かれるってことじゃねえか」 「そうですね」  伊織の顔に浅い笑みが浮いた。  その表情は、美馬と伊織が仲良かったころの雰囲気もあって、美馬はドキッとした。  伊織らしい笑みだ。  伊織はときどき、アンタ、と呼ぶ。  美馬の母親が生きていたころ、母が好んで口にした二人称だった。丁寧な日本語を話す母だったのに、それだけが異質な単語のように浮いていた。伊織はそれを面白がって、美馬と話すときはときどきアンタと呼んだ。伊織がそんなふうに砕けるのは美馬に対してだけだった。  特別だと思っていた。  自分だけは伊織の特別なのだと、一時期勘違いして、勝手にボロボロになった。  伊織のスケジュールで、42日の同居は、比較的時間が確保できるという理由から、決定した。  同居場所は、例のウェディングハウスに近い高級スパだった。  IORIスポーツに所属するアスリートたちの保養地の一つであり、トレーニングはコンピューターと連動した最新設備が揃っていた。おまけにここなら一生住んでも構わないと思うほどの美しい景観だった。  アルハンブラ宮殿のような造りで、噴水が吹き上げる中庭を挟んで、ガラス張りのトレーニングルーム、娯楽室、オフィス、図書室が並ぶ。  奥のエリアが居住スペースで、リゾートホテルのコンドミニマム風になっていた。  寝室、バスルーム、リビング、システムキッチン。  食事は自炊が基本だが、合宿用の食堂があり、朝昼晩とバイキングが用意される。美馬はダイエット中なので、同じ場所では食事はしない。飯テロにあうと挫折しやすい。  美馬には専属スタッフが二人つけられた。  伊織の秘書や部下も必要にあわせてスパに通うという。  伊織は幼少期を海外で育ったせいか、日本人的な奥ゆかしさや協調性がない。職場を移植するなんて、我が侭も甚だしい。  美馬が呆れているうちに、マンションから勝手に運び出された荷物が部屋に持ち込まれ、荷ほどきは自分で行った。下着はすべて新品が揃えられていた。  はっはっは。  どんなパンツを履くと思われているのか。  紐パンなんて誰が履くか!  美馬の知らないところで準備された荷物だというのに、お気に入りの目覚まし時計もちゃんと入っていた。スマホのアラーム設定ではどうにも寝覚めが悪く、子どものころ母が買ってくれた時計を使っていた。
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