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9_美馬_ああ……人間は、金に弱い
「一緒に寝ろとは書いてないぞ」
「先輩がそこまで肉厚になった理由は二つ。過食と運動不足です。夜中にベッドにあぐらをかいて、大カップ容量のアイスクリームを食いながら、映画を見てますよね?」
「なっ」
美馬は口を押さえた。何でそこまで知られてるんだろう。映画好きは昔からで、伊織ともよく部屋で一緒に鑑賞したが。
「逃げ出した花嫁が、親切に教えてくれましたよ」
伊織は眼鏡を外すと、ペーパーで拭き拭きしながら薄い笑みを浮かべる。
玲花のやつ、あんなに仲が悪そうにしてたのに。いつの間に。
「あ、そうか!」
挙式前、玲花からは何度も痩せろと言われていた。それはもう必死にだ。挙式直前で逃げ出したのは、結局痩せなかったのが理由だろうと思う。
どうしても以前のスマートな、絞り込んだスタイルに戻したいらしい、そのためなら悪魔とでも手を組むというわけだ。
くそ、裏切り者め!
「あのなあ、オレが太ったからって、何かおまえらに迷惑をかけたか? 何だって言うんだ 」
「過食に走る理由の一つはストレスです。先輩は慣れない金策に走り回る生活で、すっかりおかしくなったんです」
うっ。
それは否定しない。
チェリーで仕事をしながら、リンクを守るために企業に頭を下げて回る生活だった。その度にフィギュア選手時代の話をされ、アイスダンスに転向したのは跳べなくなったからか、と興味津々に聞かれた。
アイスダンスはシングルジャンプ以外はプログラムに含まなくてもいい、というより、派手な動きは禁止だ。選手二人が、腕二本分以上離れてはいけないというルールのもと、ほとんど密着してダンスをする。氷上の社交ダンスと言われる由縁だ。典雅さやドラマ性を魅せる。丁寧に説明してもペアと勘違いされる。
ペアはシングルスケーターと同じ要素を用いる。アイスダンスとは別物だ。
散々雑談に付き合われた後、収穫もなく帰る。その繰り返し。教室のコーチアルバイトが終わると、オフィスのデスクや大学の昼休みに計算機を叩く。ストレスが溜まらないわけがない。
「これからは資金の心配はいりません」
「ん、まあ、それは、ありがたいよ」
ああ……人間は、金に弱い。
美馬は己の非力さを思い知る。何かやろうとすれば、あるいは成し遂げようとすれば金がいる。金がなければ人間は自由になれない。リンク一つ借りられないし、ご飯だって食べられない。
「煩わしい日常のことはスタッフに任せて、先輩はのびのびと、リラックスした環境でダイエットしてください」
「いや、それは助かるよ。健康のことを考えたら、ダイエットは必要だと思っていたしな」
だが!
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